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 聖夜の贈り物

 

 

 

 誰だって、クリスマスにサンタがプレゼントを届けてくれていたと信じていた時期があっただろう。誰にだってある、無垢な頃の、夢みたいなものだ。でも、いつかは、サンタはいなくて、親からのプレゼントだったと知るときが来るものだ。確かにそれはショックなことだ。かく言う俺もそれなりにショックなことだった。しかし、幼き俺や、他の誰かも『そういうものだ』と割り切ってしまう。だから、知ってすぐはショックだったが、今としては美しい思い出になっていたりするものだろう。

 そんなことを考えずにはいられないまま、俺は部屋のベッドに寝転んでいた。

 時刻は夜の十時を少し回ったところ。勉強もおざなりに、少し考え込んでしまう事態が、俺の身に起きていた。それについて考えると、クリスマスが絡んでしまうわけで、つまりは、サンタやら、聖夜やらに関係するものなのだった。

 暦は十二月二十五日。キリストさんの誕生日である。これ程までに、考え込んでしまうクリスマスは、生まれて十七年、初めてだった。

 体を起こして、部屋に視線をめぐらせる。

 今いるベッドの左に机があり、部屋の中央にはちゃぶ台を思わせる丸いテーブル。それ用のいすが丸テーブルの奥にあり、その右には扉、ベッド正面には本棚がある。本棚には教科書とちょっとした文庫本、マンガ、雑誌が入れられている。そして部屋の中央に視線を戻すと、いすを占領する女の子が一名。言わせてもらうが、彼女がいきなり現れたわけではない。いや、まあ、いきなりと言えば、いきなりなのだけど、違うのである。もう一つ、交際相手でもなければ、友人でもない。つまり、赤の他人である。

 彼女は文庫本、タイトルは『どんぐりと山猫』著者はもちろん宮沢賢治である、を読んでいた。彼女が読んでいる文庫本は俺のものである。別に、読むぶんにはどうでもいいのだ。問題はまるでないように思えるけど、彼女は存在自体が問題なのだった。

 そこで俺は先日の事件を思い出してみるのだった。

 

             ◇

 

 十二月二十四日、クリスマスイブの夜の出来事だった。

 その日、俺は家族とクリスマスイブということでクリスマスなディナーを食べ、満腹でご機嫌になっていた。

 部屋に入って、少し、冬の課題をやっつけていると、自分の正面にある窓がコンコンと音を立てた。

「ぅん? 何だろう?」

 呟いて、さして考えもせず、カーテンを開けて、窓も開けて外の様子を確認してしまった。今となっては、もう少し慎重に、新種のドロボウだとか考えればよかったのに、と後悔している。

 窓の外には何もいなかった。冷たい夜気と、黄に輝く月があるだけ。何だったのだろう、と思って窓を閉め、鍵をかけようとしたとき。突然、窓が大きな音を立てて開き、件の彼女が俺の部屋にイントゥーしたのだった。でも、窓のサッシに足を引っ掛けて、こけていたっけ。

「いたたぁー」

 ちょっとドジな子だった。起き上がると、床にぶつけた体をさすりながら、左手に持ったクラッカー鳴らした。

「メリークリスマス、(みつ)(おみ)さん」

 俺はもちろん絶句。確かに、今まで女の子とは友人程度の関係を築いたことはあっても、付き合った経験はなく。それ故、突然、アサルトな来訪者に何も言えずに硬直した。

 待て待て。今、確かに俺の名前を口にしたような気がするのだが。

「どうかしましたか、光臣さん?」

 ふぇ!? 何故にこいつ我が名を知っておられるのか。

 戸惑いの表情が顔に表れる。

 今一度、不法侵入者の女の子を見た。くっきりした大きな瞳、小さい鼻。ぷっくりと瑞々しい唇。細いあごのライン、肩までの髪。細身で小柄、胸も……。サンタの着ているような、赤と白を基調とした服を着ていた。全体的に肌は白く、まるで純白の鳩。頬にだけ、きれいな桜色が薄くまぶされている。年は俺とそう変わらないだろう。

「どうして名前を知っているかと――」

「ドッキリだろ、これ!?

 都合のよすぎる状況に、俺はある人物の顔が脳裏によぎった。故に、即座にあの女の子の返答に、割って入ったのだ。

 ある人物とは、俺の所属している部活の部長だ。少人数の写真部が誇る、学校一の変人。その人こそ、例の部長で、彼は己の楽しみのために常に何かをしたがる人なのだ。彼の人は、写真はおざなりに、何かよく解らないオカルトな館を文化祭で出展したという伝説を持つ。実話であり、ほかにも数多くの伝説を持っている。そんな部長なら手の込んだ、この手のドッキリを仕掛けてもおかしくない。

 どこかにカメラが仕掛けられているのではないか、と思って、部屋中を探し始めた。とりあえず壁。

 なかった。カメラなんてなかった。

「あの、ドッキリじゃないんですよ?」

「えっ?」

 さも普通にそう言ってのける女の子。

 もちろん驚く俺。

 カメラ探しを止めて、ベッドに座った。

 状況を一つひとつ整理して、一つだけ疑問が浮上した。

 俺の心を完璧に読んで、返答している彼女は一体何者だ。俺専用の読心装置でもあるのだろうか。とりあえず、正体不明の怪しい女の子であることだけは確かだ。

「あんた、一体何者?」

 俺は女の子を見て問うた。

 彼女はさもありなんといった風に答えた。

「私は、光臣さんの彼女です」

「ああ、俺ってこんなにも飢えているのか。なんか、こう、恋人とかに憧れているのか?」

 実際のところ、俺は彼女なんかいらねぇよ、と言ったりする。しかし、そんなこと五割程度が本当で、残りは逆なのだ。

 まさしく俺は、現実を目の当たりにしたのだ。つまり、こいつは俺の妄想だ。そうに違いない。

「元気出してください、光臣さん。とりあえず顔を上げてください」

 彼女が俺の肩を優しく叩いた。俺は下げた頭を上げ、肩に置かれた、その小さくて細くて、柔らかい手をどけた。

「なぁ、あんた。名前は?」

「私の名前はみふゆ、覚えて下さいね、光臣さん。私、自分の名前、好きなんです。きれいな響きだと思いませんか?」

 楽しそうに話すみふゆの顔から笑みがこぼれる。本当に自分の名前が好きなようだった。俺は光臣という古めかしい名前があまり好きでない。光とか臣とか、いちいち古い。

 えーっと。なんか俺、普通に怪しげな来訪者を受け入れているのですが。うん。これはきっと夢に違いない。

「これは悪い夢だな。よし、寝るとしよう」

 俺は布団に潜り込んだ。

 部屋の中央にいるみふゆが露骨に慌てる。

「あぁーん、寝ないでくださぁーい。夢でも悪い夢でもないんですよー。ほんの少し非現実なだけですよぉ」

 俺は冬期休暇の課題とか、家の大掃除とかで、かなり疲れているようだ。自分でも解らないほど疲れたのだ、きっと。そうでなければ、こんな妄想と話したりするはずがない。

 みふゆが寝ようとしている俺を揺らす。

「起きて下さいよ、光臣さん。疲れているかもしれないですけど、妄想なんかじゃないんですよ。とりあえず、起きて下さい」

「うるさいなー、俺の妄想。寝たら消えてくれるんだろう?」

 半目でみふゆを睨む。俺はただいま、非常に機嫌が悪い。

「私は寝ても消えませんよ、光臣さん」

 揺する手を離して、しょげるみふゆ。

 俺は体を起こして、ベッドに腰掛けた。

「つまり、これは紛れもない現実ってことなの?」

「はい、そうです」

 笑みを浮かべて答えるみふゆと、その答えに頭を抱える俺。

 そう。俺はこの日ほど鬱になった日はなく。現実がこんなものでいいのかと頭を抱え、苦悩した日も、この日が初めてだった。

 人間かどうかも疑わしい、招かざる来訪者の女の子。見た目は可愛いほうだけど、こんなやつが現実押しかけてくるのが謎だった。

「一つ訊くけど、あんた、ここに住むわけ?」

「もちろんです。

 しかも、この部屋にです。……きゃっ」

 桜色の頬を朱に染め、顔を手で覆い隠すみふゆ。その答えに俺は、暗い未来しか思い浮かばなかった。

 例えるなら、そう。友人がゲイと知り、しかも自分の体を狙うようなものだった。うーん、全く。これは不幸なのだろうか。とりあえず、お引き取り願いたい。

「帰れ」

 きっぱりと俺は突っぱねた。他意はない。当たり前だ。この言葉で、その意味以上のことを伝えるつもりは毛頭ない。

「…………」

 黙りこんで、顔を俯かせるみふゆ。少しの後、嗚咽が聞こえた。それは俺の意味を大変ひどい意味で解釈したのか。言葉は必要以上のことを伝えたりするので厄介だ。

 俺はみふゆを泣かした。それは、まごうなき事実で、しかし俺が謝る道理はなく、それ故に難しい事態だった。

「光、臣さ……ん」

 どうしてそんなにひどいことを言うのですか?

 途切れ途切れの言葉でみふゆをそう言った。確かに俺は『ひどいこと』を言ったのかもしれない。しかし、いきなり沸いて出てきた女の子がそんなことを言う理由が解らなかった。もしかしたら、彼女発言が本当なのかもしれない。俺は認めん。つまりは好意があるというわけで、しかし初対面であるわけなのだが。まぁ、悪い気はしない。人間見た目がよいと好かれるわけだが、俺はみふゆに好意を抱いていない。もちろんだ。まあ、消しても消えそうにないので諦めるよう。

「悪かったよ。もう好きにしてくれ」

 みふゆは何も言わず、頬を桜色に染め、笑みを浮かべた。

 俺は仏頂面になってしまっているわけだけど。みふゆの顔を見たら少しは笑えた。泣きはらした顔で天使のように笑っている。その、どこか幸せそうな表情が可愛い、と思ってしまった。むう。見た目、恐るべし。

 

             ◇

 

 以上が昨日の夜の出来事。

 現実に戻っても事は全く変化なし。

「はぁ」

 ため息の一つや二つは出る。

「ため息ついたら幸せが逃げちゃいますよ」

「逃げたからついたんだけどね」

「?」

 クエスチョンマークを顔に浮かべるみふゆ。

 幸せが逃げたから、ため息はつくものだ。すでに逃げた。ま、俺の場合は幸せというより、平穏な毎日ですが。

 部屋の中央で本を読んでいるみふゆは、俺以外の人には見えない。

 それは、今日の昼、部長の家に行ったときに発覚したのだった。

 

             ◇

 

 なぞの女の子、みふゆが現れた翌日。

 その日、俺はドッキリ説かどうか確かめるために、部長の家に行くと決めていた。

 あの人は何かを知っている。

 そう確信してのことだった。

 太陽が真上を少し過ぎ、照る陽射しが暖かくなりだした頃。朝の寒さに凍る水が溶け、でも、吹く風は冷たく、刺すように痛い。冬本番はまだ先なのに、この寒さ、どうにかして。

 コートの襟を立て、手袋をはめて家を出た。

 みふゆもまた、俺と同じような格好である。なぞは二つ。こいつはいつ着替えたのか。その服はどこから持ってきたのか。

 二人で出かけるなんて……きゃっ、と呟いて、桜色の頬を染める女、一名。こいつ、謎、多すぎ。

 俺は黒いコートに黒い手袋、ジーパンという、格好で、ちょっとダサい。あまり、気にしてないけど。みふゆは、紺色のダッフルコートにモコモコの手袋、スカート。えっ……と。コートの下の服が昨日と違っているのであります。ほとんど、それこそ俺が便所に行く、または飯以外では離れなかったというのに、バッチリ着替えている。

 部長の家は、俺の家から比較的近く、徒歩三十分という距離だ。

「あの、光臣さん?」

「うん?」

 よそよそしく俺に話しかけるみふゆ。何か胸に不安があるのか、或いは期待があるのか。おそらく、後者であろう。

「どこに行こうとしているのですか?」

「部長ん家」

「どうして?」

「ドッキリ説の真偽の確かめ」

「そうですか……」

 やや残念そうな声音。何を期待していたのかは聞きたくない。

 それっきり黙って歩くみふゆ。

 俺は右に左に、と道を進む。

 体が温まりだし、冷たい風が心地よくなってきた。あっ、やっぱり冷たくて寒い。すこしは和らいだと思うけど。

 昔、クリスマスに近い日に友人が交通事故にあった。幸い、命にかかわるほどの怪我をしたわけではなく、何針も縫う大怪我で済んだ。その日、俺はその友人と遊ぶ約束をしていた。

 公園に集合な!

 そう言った本人は、一向に来る気配がなく、幼い俺はどうしたんだろう、となんとなく思ったのだ。日が傾いて、外が夕日のオレンジに照らされだした頃まで、待ったが、もちろん友人は来なかった。それから俺は家に帰った。あの日の風は今日みたいに冷たく、ひどく痛かったのをよく覚えている。

 家に帰った俺を待っていたのは、

『××君、交通事故にあって、入院したらしいの。光臣、遊ぶ約束してたでしょ――』

 そんな不幸の言葉。母親は心配そうに、そうのたまった。

 ああ。今日のあの風は、不幸のものなんだ。

 あのときの俺はそんな事を思い、そして今の俺も、そんな事を思っている。そして、同時に今の俺は、そんなことない、と信じたがっている。

 俺は仏頂面になって歩いていた。鬱になるような昔の思い出のせいだ。

 俺の左手をみふゆが掴んだ。

「おっ、おい。離せよ」

「嫌です」

 頑なに断わるみふゆ。掴んでいるその右手は、手袋越しからでも震えていることが感じ取れた。

 震えているのか……。

 その震えは、寒さによるものなのか、或いは極度の不安と、緊張によるものなのか。おそらく後者であろう。寒くて震えているなら、強張った面持ちになどなるものか。

 暖かさが手袋越しに伝わってきた。彼女の気持ちも少し伝わってきた。俺も少しだけ、ほんのちょっとくらい彼女の好きなようにさせてあげるさ。具体的に今の状況なんだけど。

 いや、よく考えろ、俺。

 ドッキリ説かどうかを知るために俺は部長の家に向かっている。ここで不安とか、おかしい。コイツ、もしや、影でほくそ笑んでいる!?

「やっぱ、離せって」

「そんなに私と手を繋ぎたくないのですか。誰にも見られないのに」

「はい、そこ涙禁止」

 俺は涙に弱いのである。

「えぇ〜、少しくらい、いいでしょ」

 決して離すつもりがないらしい。

「なら、部長の家までだぞ」

 部長の家なら、もうすぐそこなわけで。少しくらいと俺は嫌だぞ、を一発解決。まさに一石二鳥である。

 数分で部長の家に着いた。部長の家はこれといった特徴のない、ごく普通の一軒家だ。

 俺はインターホンを押した。

 

             ◇

 

「珍しいな。俺が呼びもしないのに、光臣が来るとは。何だ、俺に相談事でもあるのか?」

 我らが部長は、俺が部屋に入るなり、そう言った。随分な挨拶である。

 この部屋には異常が満ちている。まず、部屋の壁は本棚で覆われている。その本棚は、ほとんど本で埋め尽くされていた。それも普通の本ではなく、オカルトなものばかり。『リベル・レギス』とか『近代魔術における儀式の役割』とか『遠野物語』など。彼曰く、まだまだだぞ、こんもの、らしい。他の家具は普通だ。

 この人は、黙っていればかなりモテると思うのだ。あと、嗜好が百八十度変化すれば。

「まあ、そんなとこです。部長、昨日、俺んちにコイツを送り込んだ張本人ですよね?」

 早々に核心をつく。言いながら、みふゆを指す。

 部長は無言で、俺の顔を呆けながら見つめた。

「光臣、君は何を言っているんだ。そこには誰もいないぞ。戯けたことをぬかすな」

「いや、実際、ここに……」

「だから、誰もいないと、言っている」

「嘘、ですよね?」

「否、本当だ」

「え……」

 俺は絶句し、みふゆを見た。みふゆは戸惑っていた!

「光臣さんだけにしか見えていないんですよ」

 え……? それって、どういうことですか、先生?

「だから、そういうこと、なんです」

 おっと。これは俺の妄想説が有力か。そうなると、俺は異常なまでの可哀想な人ではないか!

「おい、光臣。君には、そこに『いる』という、存在が見えているのだな。そして、俺には見えていない。そういうことなのだな?」

「おっしゃる通りでございます」

 部長の問いに肯いた。

「自分にしか見えない存在をここでAとしよう。Aは、自分には見え、他者には見えない。察するに、君はAと会話ができるのだな。そして俺にはできない」

「そうです」

 よし、と確認して、続ける部長。

「こんな話を聞いたことがある。

 昔、ある男に他者には見ない存在が見えるようになった。その姿が鬼のような怖い男だったらしい。彼は恨まれるようなことを生まれてこの方、したことがない、善人だった。誰かの、恨みだと、彼は思ったそうだ。そして、彼は次第に発狂し、自殺したらしい。彼には魔術師の知人がいた。もっとも、彼はその事実を知らなかったそうだが。そいつが犯人だった。魔術師は彼に恨みを持っていなかった。ただ、魔術の実践に向いていただけだ、と話したらしい。

 ――だが、光臣の場合、男ではなく、女なんだろう? 俺の予想だが、誰かの信念がそうさせたのではないかと思う。強い念は現実世界に具現化させる力を持つ。非現実と現実の狭間の存在は不安定だ。念が強くなれば、より現実に近づき、念が弱くなれば、現実から離れ、存在が薄れる。つまり、心次第と、いうことだ。

 これは魔術の初歩的な知識なんだがね」

 魔術師としての部長がそこにいた。そして、その魔術師は俺をどこまでも見透かしていた。

「ありがとうございました、部長」

「礼はいらん。また来るといい、光臣」

「……考えておきます」

 ははは、と笑って、部長と別れた。

 解ったことは一つ。部長は何も関係していない。ひとまず、彼女の正体は俺にだけ視認でき、会話できる存在だということ。つまり、彼女は俺がいなければ一人ぼっちということだ。

 一人ぼっちが寂しいことは、よく知っている。

 俺はそれを体験していたから。だからだと思う。彼女とそれなりに会話をしようと思ったのは。

「帰ろうか」

「はい」

 俺はみふゆと肩を並べて家路に就いた。

 

             ◇

 

 と、いうわけで、今に至るのだが、実際問題、俺は部屋に(冬季に限って)引きこもっていることが多いから、それなりに長い時間をみふゆと過ごすわけだ。

 それに。みふゆは読書好きなようで、一人で黙々と本を読んでいる。会話しにくいことこの上ない。

「お茶でも飲むか? のど、渇いただろ」

「ん」

 みふゆが猫のように、のどを鳴らして肯く。それを確認して、俺は立ち上がり、部屋を出た。

 リビングのキッチン。そこにある冷蔵庫の前で、お茶を一杯飲む。次に、みふゆの為のお茶をコップに注ぐ。そして、それを持って部屋へとリターン。

「はい、お茶」

「ありがとうございます」

 本を丸テーブルの上に置いて、コップを受け取った。彼女は、飯は食べないが、お茶は飲むのだ。部長の言うとおり、半現実的なやつだ。

 俺はいすに腰掛け、みふゆがお茶を飲み終えるタイミングで話しかけた。必然、みふゆが体を捻って、後ろにいる俺のほうへ向く。

「よく、そこまで集中して本が読めるな。俺も読書好きだけど、一時間が限度だもん」

「そうですか? 本が、あの、お話がですけど、面白いと、時間が経つのを忘れちゃって、どんどん読めるんです。

 ――私も、お話の主人公になれるでしょうか?」

 上目遣いで俺を見るみふゆに、俺は言ってやった。

「なっているさ」

 人の人生は物語だ。自分の人生という物語の主人公は、紛れもなく自分である。それが当たり前なのだ。本の中の主人公も、その人の人生が物語としてある。だから、全ての人は個人個人での主人公。必要のない役ないように、俺たち一人ひとり、必要のない人などいないのだ。

「そうですよね。光臣さんは優しい人ですね。私みたいな人にまで親切にして下さるんですから」

「本人がそう言うのもどうかと思うけどな。もう、それなりに事情を知ってしまったんだ。放っておくほど、無慈悲じゃない」

「情けは人の為にならずって言うのに」

「そこまでの情はないけどな」

「そうですよね。あはは……」

 失笑するみふゆ。何か、他の言葉を期待していたのだろうか。他人である俺には解るはずがないのだが。でも、考えることはできるわけで。つまりは、そういうことだ。

 机に向かって課題に取りかかる。

「…………」

「…………」

 沈黙の中、みふゆがページをめくる音と、俺のシャーペンを動かす音とページをめくる音だけが、無残に中空へ飲み込まれる。

 俺はある程度、課題を済ませたので、後ろを見た。首だけをクイッと動かして。

 みふゆの後姿そこにあった。当たり前だ。だけど、彼女は、俺にしか見えない存在で、不安定な現実。いつかは消える、もしくは現実のものへと昇華する存在。ひどく不安定。気持ち悪い存在だ。誰かの念、一つで消えたり、現れたりする、そのあり方が、たまらなく気持ち悪い。その誰かが、俺だったらどうする?

「あの、そんなにじぃーっと見られると恥ずかしいです」

「あ、悪い」

 いつの間にか気づいたみふゆが、こちらを見ていた。恥ずかしそうに頬を朱に染める。

 俺はいすを回して、対面した。

「この本って、光臣さんのですよね?」

「うん、そうだよ」

「へぇ、光臣さんはこういう本を読むんですね」

「別に、親が買ってきたものを読んだだけなんだけどね」

「それでも、宮沢賢治とか夏目漱石とか近代文学で有名な人の本を読むことは、それだけで、世界の見方が大きく変わると思いますよ」

「確かにそうだね。俺もそれは時々強く思うなぁ。あと、同じ作品を何度か読んでみると違った見方ができたりするよね」

「そうですね。小説って奥深くできてますよね」

「ああ、全くだ」

 みふゆが饒舌になっている。可愛しい声で朗々と話す姿は大変よろしい。

「光臣さんのことが少し解って嬉しいです」

「俺もみふゆのことが少し解った気がする」

「お互い様、ですね」

「ああ、そうだな。俺、みふゆともっと話してみたいと思ったし」

 全くの本心だった。俺は人に言うことには絶対嘘をつかない。その人に失礼ってものだろう、嘘をつくという行為は。

「えっ? 本当ですか? 私も、もっと光臣さんと話したいです」

 さも嬉しそうに言う。その笑顔は、眩しいくらいだった。俺は自分の顔がにやけているのに気付いた。いや、笑っているのだ。何故かは言うまでもない。

 ケータイの時計で時刻を確認。ただいまの時刻、十二時のちょっと前。いつも寝る時間帯だった。

「もう、寝るな。お休み」

「お休みなさい、光臣さん」

 俺は部屋の電気を切って、床に就いた。

 ゆっくりと意識が薄れていく。しばしの世界とのお別れだ。

 

             (12/26)

 

 意識がゆっくりと蘇る。

 布団の温もりを感じながら、しばしのまどろむ。俺はまだ夢の世界にいます。

 少しずつ、意識が覚醒する。

 起きて、布団が出るのが嫌になるほど寒い朝。

 目を開けて、眠りから覚める。体を起こした。

 カーテンから射す柔らかい朝日。弱々しい太陽光。カーテンをシャーッと開けた。

 部屋の中に、みふゆの姿はなかった。

「トイレかな?」

 呟いて、俺はリビングへ行く。

 現在の時刻、七時三十分を少し回ったところ。

 朝食にパンを食べ、お茶を飲んだ。

 身を震わす寒さ。思わず、トイレに行きたくなった。

「うぅ〜、寒いなー」

 トイレで小便をして、部屋に戻った。

 みふゆの姿はない。

「なんだ、いないのか。帰ったのかな」

 どこへ、帰るのかは解らないけど、なんとなくそう思っただけ。

 パジャマを手早く着替え、布団に入ろうとしたとき、異変に気づいた。

 何か、俺の布団に入っていないか?

 さっきまではなかったと思う、その膨らみ。ちょうど小柄な人が丸くなって入っているぐらいの大きさ。

 ゆっくり布団をめくった。

 現れたのは、みふゆ、だった。

「お前、ここで何してんの?」

 ちょっとだけ、怒りも含める。

 みふゆは悪戯を見つけられた子供よろしく、少しばつの悪そうな顔になった。

「寒くなったから入っていただけです」

 体を起こして、答える。先生、ここにすごく真面目な子がいます!

「そ。いつぐらいから?」

「そうですね〜」

 右手を顎に当て、考え込むみふゆ。目もつぶって、真剣に思い出し始める。

「明け方ぐらいだったと思います」

「へぇ〜。どうだった?」

「温かくて気持ちよかったですよ?」

「そうかい。ふーん」

 なるほど。下半身のほうに何かあるなあ、と思ったけど、お前か犯人。気付かない俺もどうかと思うけどさ。

 いすに腰掛け、ベッドに腰掛けているみふゆと対面する。

「人の布団に勝手に潜り込むなよ」

「ふぇっ、ごめんなさい、光臣さん」

「いや、過ぎたことはいいから。寒かったら暖房入れればいいからさ」

「はい、そうします」

 顔を俯かせて謝っているみふゆに、俺は米粒ほどの優しさを言葉にする。

 友人を相手にしているようなものだ、こんなものは。誰だって友人を相手にするとき、ほんの僅かな気遣いをするだろう。それが言動に出るか、行動に出るかの違いであって、それを多少の優しさというのだ。ありすぎても、なさすぎても駄目なものだが、大抵は無に近い。だから問題ない。しかし、今回はあるほうで、俺はみふゆを励ました。

「何か飲むか?」

「お茶をお願いできますか?」

「おう、お茶だな」

 俺はリビングのキッチンに入って、お茶を注ぎながら考えた。

 みふゆは現在、俺以外の人には不可視状態にある。そんな状態でお茶とか汲みに行かせてみろ、家族がポルターガいすトだ、とか言って、驚くぞ。故に俺がお茶を汲みに行く。

 でも。みふゆは飯を食わない。しかし、お茶は飲む。どういうことだろう、これは。後で聞いてみよう。

 お茶を持って部屋に帰還したよっと。

「はい、お茶どうぞ」

「ありがとうございます」

 みふゆにお茶を渡して、俺はいすに腰掛ける。

 お茶をコップ半分くらいまで飲んだところで切り出す。

「みふゆさ、お茶は飲むけど、飯は食べないよな。どうして?」

 軽く言って、話題をさもたいしたことないように俺はした。

「さぁ? どうしてなんでしょうか?」

「訊かれても俺は困るんですけど……」

「う〜ん」

 考え込む様子から、意識して考えたり、思ったりしていないことが解る。

「のどが渇くから、お茶を飲んで、お腹が空かないから、ご飯を食べないのだと思いますけど」

「答えになっているような、なっていないような。微妙な答えをありがとう」

「そうでしょうか。尤もだと思うんですけど」

「まぁ、確かに尤もだけど。当たり前すぎる、つーか、まぁ、そんなんだよ、そんなん」

「そう言われましても、後は、半現実だから、くらいですよ」

「それだよ、きっと」

「光臣さんが求める答えを与えられて、嬉しいです」

 みふゆが顔にひまわりよろしく、眩しい笑顔を浮かべる。

「あー、はいはい。そーですか」

 ぶっきらぼうに言う。そんな笑顔、真正面から、俺は受け止められません。

 半現実。確かにそうだった。みふゆは、現実と非現実の境にいる存在である。例えるなら、そう。起きているのか、寝ているのか解らないときみたいなものだ。そういうのって、たいしたことではないだろう? だから、考えるべきではないのだ、みふゆの存在のあり方については。

「光臣さん」

「うん?」

 みふゆが甘える声を出す。こう、身を乗り出して、顔を俺の顔に近づける。その瞳には、俺の顔が映っていた。俺かみふゆの鼓動の音が聞こえる。ドクッ。ドクッ。

 俺は緊張した。みふゆが次に言う言葉は何か、予想できた。だから、聞きたくなかった。

「私、光臣さんにハッキリ言いたいことがあります。聞いてください」

「嫌って言ったら?」

「勝手に言います」

「なら、言わないでくれ」

 本当に厄介なやつが来たものだ。

 誰でもいいから、この、厄介な友人をどうにかしてくれ。俺はもう困っているのだ。話し相手になるぐらいなら、まだいいさ。それも独り言になるから、気持ち悪いけど。俺、次の言葉だけは耐えられないね。どんな嫌がらせだよ。

 妄想相手なんて、ねぇ?

 死んだほうがいいかも俺。でも死ぬ気はない。世の中ってのは、こういう、意味の解らん、理不尽なことでいっぱいなんだろうけど。

 でも、まあ。

 彼女にとって、唯一この世界で話せるのが俺だけで。故に、俺が彼女という世界のたった一人の住人になるのは必然であり。

 だから、もう。

 諦めるしかないのだった。

 

終わり

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