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「あったかいね」

「あったかいですね」

 こめかみから伝わる魔女さんの声からは、魔女さんが頬を真っ赤に染めて恥ずかしがっている様子がよく分かった。

 僕もなんだか恥ずかしかった。でも、このまま眠れそうな優しい恥ずかしさだった。

 魔女さんの身体は柔らかかった。腕も、背中も、どこに触れてみても。

 

 

 どうして魔女さんとみんなの仲があまり良くないのか。

 僕には未だによく分からない。

 魔女さんはとってもいい人だったし町のみんなも気のいい人ばかりだ。

 それなのに何故なのだろう。もっと仲良くしたらいいのに。

 もう怖がる必要もないのに、と。

 僕はそう思う。

 

 

 魔女さんはこの町に住んでいるけれど、この町には住んでいない。

 それはどういうことかというと、町の中には住んでいないということだ。魔女さんは町を出てしばらく歩いたところにある森の近くに住んでいる。

 そこに住んでいるからみんなと仲がぎこちないのか、それともみんなとの仲があまり良くないからそこに住んでいるのかは僕には分からないけれど、魔女さんは確かにそこに住んでいる。

 魔女さんは魔女だけど、それでも魔女である前に人間なのだ。そういうわけで、たとえ魔女さんでも人として生きていくために色々なものが必要になる。

 例えば、小麦粉とか服とか。そういう色々なもの。

 魔女さんは周りの森から野菜や木の実を取ってきているそうなので、普通に生活する分はやっていけるそうなのだけれど、さすがに小麦粉は取れないのでそこからパンやケーキを作ることが出来ないという。

 だから時々魔女さんがそういう色々なものを取りに来る。のだけれど、今回はなんだか事情が違った。

 魔女さんのペットであるという真っ黒い犬が手紙をくわえてやって来たのだ。

 その手紙には、「事情により町へ行くことが出来ませんので、できればお使いをやってくれませんでしょーか」と書いてあったらしい。

 でも、みんなは魔女さんに会いたくないそうなので、紆余曲折を経て、僕が行くことになった。

「おい、お前ちょっとお使いに行ってくれないか?」

 そう言ったのは、僕がお世話になっているパン屋のご主人だった。

「いいですよ。なにを買ってくるんですか?」

 僕がこんな見当違いなことを言ったのは、その時はまだ魔女さんの話を聞いていなかったからだ。

 勿論パン屋のご主人は不思議な顔をした。それからやっと僕が魔女さんの話を知らないということを悟ったらしく、僕に魔女さんのことを教えてくれた。

「魔女さんは森の近くに住んでるんだ」

「魔女さんは毎日シチューを食べてるんだ」

「魔女さんは犬を飼ってるぞ」

「魔女さんの家には犬が案内してくれる」

「魔女さんに雑貨や小麦粉を持って行ってくれ」

 必要な知識なのかどうか分からないことも教えてくれたけど、でもその時のご主人は真剣な表情だった。

 少し怖がらせたいというような下心も見え隠れしていたけれど、ともかくお使いに行けばお小遣いをくれるというので、僕は魔女さんの家に行くことにした。

 みんなが魔女さんに会いたがらないということを知ったのは、魔女さんの家に向かう直前のことだった。

 パン屋のご主人が持っている中で一番大きいナップサックを借りて、そこに小麦粉や魔女さんが着る服や下着を詰め込んでいる時に、もうこれが今生の別れとでもいうようにみんながみんな神様に祈っていた。

 五歳になるメアリが「おにいちゃん、かえってきてね」と言ってくれた時には思わず抱きしめてしまったけれど、なぜみんながそんなに魔女さんを怖がっているのかが僕には分からなかった。

 僕は魔女さんに直接会ったことはないけれど、たまに町に来る時に少しだけ見たことがある。

 短い金髪は少し波打っていて、微笑みを絶やさない優しそうな人だったという印象しかない。魔女さんがみんなの言うような人だとは到底思えないまま、準備だけがどんどんと進んでいった。

 

「えっと、じゃあ行ってきますから」

 そう言って僕はみんなに手を振ってみる。見送りはかつてないほどの多さだった。

 すすり泣く声も聞こえてくるけど、僕はどうしたらいいのか分からなくなって「早く帰ってきますから」とだけ言った。

 町の外の方に振り向くと、魔女さんが飼っているという真っ黒な犬が尻尾を振って待っていた。急かされるようにして、僕はぱんぱんに膨れたナップサックを背負う。

 ばうっ、と鳴いて真っ黒な犬が歩き出す。僕もそれについていくことにする。

 

「はぁ、ふぅ……」

 魔女さんの家にはすぐに着くと思っていたのだけれども、それは違った。森は見えるのだけれども、いつまで経っても魔女さんの家に着かない。

 くわえて荷物の重さがある。魔女さんの一人暮らしとはいえ、一ヶ月は保つような小麦粉の量がナップザックには詰まっている。その上中身はそれだけではない。

 日の出る頃から歩き始めて、今はもう正午を過ぎただろうか。お腹が空いて踏み出す一歩も小さくなっている。

 先導する犬は僕の方を気にしつつ、僕が足を止めると、ばうっ、と鳴く。家に近づいているよ、と言うように尻尾の振り幅は段々と大きくなっているということだけが、目印にもならない目印だった。

 魔女さんの犬は賢いなぁ、と、歩いていることを忘れようと僕は別のことを考える。一体どうやって町と魔女さんの家を行き来しているのだろうか。もしかすると僕よりも頭が良いのかもしれない。

「はぁ、はぁ、……、――んっ!」

 もしかすると本当にそうではないのだろうかと一瞬思ってしまい、それに気が抜けて背中の重みが一気にくる。

 ここで一つ休憩でも取った方が後々のことを思うと楽なのではないのかと考えていると、真っ黒な犬が、ばうっ、っと吠えた。

 声に驚いて僕が犬の方を見ると、

「わ……」

 そこには魔女さんの家があった。

 

「何でこんな近いところに気付かなかったんだろ……」

 いつもは独り言なんかは言わないのだけれど、流石に限界まで来ると自然に言葉が出てしまった。そういうものなのだろうか。

 一つ歩く度に、よいしょ、と呟く。いつもメアリがそうしていたので、真似したら案外気が散って楽になった。

 魔女さんの家が目に見えて近くなると、真っ黒な犬は走り去ってどこかに行ってしまった。賢そうなので、魔女さんを呼んできてくれたりするのかもしれない。

 そう楽観しながら、僕は重い荷物を背負って魔女さんの家に近づいていく。

 結果から言うと、魔女さんはこっちに来て手伝ってくれることはなく、僕が魔女さんの家に着くまでそこから十数分かかってしまった。

「っあー……」

 魔女さんの家には庭があって、入り口であることを示すように二本の石柱が立っていた。

 とりあえず、と僕はそこにナップサックを置く。重さから解放されて、ありえないけれど背が伸びたような気分になった。

 両腕を回して肩のストレッチをする。それから首を回すと大分楽になった。

「ふぅー」

 一息つくと、ようやく周りが見えるようになる。僕は庭にハーブの畑があるのに気付いた。

 そこにいるのだろうか、と考えながら僕は魔女さんの庭に入ってみる。

「すいませーん」

 呼んでみてもハーブの畑の中に魔女さんはいなかった。だとしたら、やっぱり家の中に魔女さんはいるのだろうか。

 僕はそう考えると、家の扉の前に進み出る。

「魔女さーん」

 と呼びながら、扉をノックしてみる。

 魔女さんの声はない。

「魔女さーん、いーませーんかー?」

 僕はもう一度、魔女さんを呼んでみる。

 魔女さんの声はやっぱりない。

「……ん」

 魔女さんはどこかに出掛けているのだろうか。それとも、ただ単に魔女さんに声が届いていないというだけなのかもしれない。

 僕は魔女さんが家にいるのだということを信じて、とりあえず家の周りを歩いてみることにした。そうすれば窓から中が見れるかもしれない。

 僕はまだ少し疲れの残る肩を気にしながら、家を時計回りに歩いていくことにする。真っ黒な犬のばうの一声はさっきから聞こえない。

 ハーブ畑を横切って家の周りを歩こうとすると、そこには家の壁がなかった。

「あれ?」

 地面から三十pくらい浮いたところに床の続きのようなものが浮いていた。その奥には扉のような大きな窓がはめてあるので、それで開け閉めをするのだろうか。

僕にはなんだかよく分からなかったけれど、よく見ると壁がない所からにゅうっと足が生えていた。綺麗な足だった。

「……魔女さん?」

 呼びかけても返事はない。違うのだろうかと思いながら近づいていくと、日の当たる床で魔女さんが眠っていた。

 短い金髪がふやふやと散らばっていて、魔女さんは幸せそうな顔をしている。時々ふにゃふにゃと寝言のようなものを呟いている。

 あまりにも無防備で幸せそうなので、僕は声を掛けてもいいのかどうか少し迷ってしまった。

「……あの」

 十秒くらい魔女さんを見つめていたけれど、これ以上見つめていると見惚れてしまいそうだったので、僕は頭を左右に振ってから魔女さんに声を掛けた。

 僕の声を聞いたのか、魔女さんは突然びくっと身体を震わせたけれどそれだけで。また綿のような笑みを浮かべて落ち着いてしまった。

「魔女さーん」

「……ふぁあい」

 呼びかけてみると声が返ってきた。その事実に僕はびっくりする。でも魔女さんは目を閉じたままなので、起きているのか寝言なのかは分からなかった。

「えーっと、おはようございます」

 分からなかったので、とりあえずおはようを言っておくことにする。そうすれば朝だと思って起きるかもしれない。今は昼なんだけれど。

「おひゃようございま」

 やっぱりというかなんというのか、魔女さんはそこで僕の存在に気付いたようで、目を擦りながら回らない舌で挨拶してくれた。

「……えーっと、どなたでしょーか?」

 魔女さんの青い目は大きくて透き通っていた。僕の姿が魔女さんの瞳に映っているのがはっきりと分かった。

 

 

 魔女さんは僕が僕だということに気付くと、慌てて身体を起こした。

「あの……ごっ、ごめんなさいっ、寝てましたっ」

 知らない人に無防備な姿を見られたということが恥ずかしかったのだろうか、魔女さんは顔を真っ赤にしている。そしてなぜだか分からないけれど、僕の顔も真っ赤になった。

「あ、えっと……あの」

「え? あ、……ごめんなさいっ」

 魔女さんが恥ずかしがっているということが、僕にとってはなんだか恥ずかしい。荷物を持ってきたと言いたかったんだけれど、それは伝わっていないだろう。

 魔女さんは一度僕を見上げたきり、頬を真っ赤にして僕を見ようともせずに手櫛で金色の髪の毛をすいている。僕は金縛りにあったように動けなくなってしまっている。

 ともかく二人ともそんな調子なので、話を進めようとしても言葉が出るに出ない。

「あの、……」

「……あ」

 悪いことは重なるもので、僕が何かを言おうとすると魔女さんも同じように声を出す。そうすると声がぶつかってしまうので、慌てて二人は一歩引いて「どうぞどうぞ」とお互いを見てしまう。

 どうしようと僕が逡巡していた時に、真っ黒な犬がどこからか走ってきた。それを見た魔女さんの耳がぴんと動く。

 真っ黒な犬が魔女さんの足元にてくてくと歩いていく。僕と魔女さんは真っ黒な犬の動きに合わせて首を動かしていた。真っ黒な犬が魔女さんの白い足にすり寄ると、魔女さんは真っ黒な犬を撫でようとする。

 ばうっ!

「ひあっ!」

 真っ黒な犬が大きく鳴いて魔女さんを驚かせた。演劇の中のようなびっくりの仕方で驚くと、魔女さんは僕の方を見た。

「あ、あのっ、君はっ、ま、町の子っ?」

 俯いた魔女さんが恥ずかしそうに上目で聞いてくる。

「あ、えっと、その……はい、え、あ、……はい」

 なんと言えばいいのだろうか。僕は迷った挙げ句、結局こんな言葉しか出なかった。

「あ、ありがとうございますっ、そ、あの、えっと、お疲れになったでしょうから、その、お茶でも、」

 身体をむずむずさせながら魔女さんはそう言うと、浮いた床の下にあった丁度いい長枕のような石に裸足で降りた。

 どうぞ、と震える声と共に魔女さんは手を伸ばしてくる。

 綺麗な手だった。僕はその手を受けるかどうか迷っていたけれど、その前に魔女さんに伝えることがあったのに気付いた。

「あ、あの……荷物、どうしましょう」

 自分で思っているだけかもしれないけれど、僕の声はそんなに怖くないと思う。でもその時の魔女さんの反応は、可愛すぎるほど大きかった。

 びくりと全身で震えると、潤んだ青い瞳で僕を見る。

「あ、ぅ、ごめ、んなさ……」

 魔女さんは泣き出してしまった。

 

 魔女さんが泣いても僕にはどうすることも出来なくて、「荷物は玄関の前に置いてありますから」と言ってしまった。僕だってあくまでも「言ってしまった」のだし、そのつもりは全然無かったのだけれども。

「か、帰らないでっ!」

 半ば叫ぶようにしてそう言うと、魔女さんは全力で僕に抱きついてきた。柔らかくて温かくて、でもそれ以前に重いです魔女さん。そもそも小麦粉は重いので僕が家の中にまで運ぼうと思っていたから帰るつもりはなかったんだけれど、言葉が悪かったのだろう。

「ま、あの、魔女さん?」

 抱きつかれたことで分かったのだけれど、魔女さんは僕より一回りくらい小さい。ちゃんと並んでみれば頭一つ分くらいの差があるのだと思う。

 それを頭に入れて考えてみる。魔女さんの顔は僕の目の前にあるのだから、きっと首の辺りに手を回しているだろう。しがみついている様な感じで、足は空中で遊んでいることになっているはずだ。

「帰らないでっ」

 鼻水をすすりながら魔女さんが言う。色々言う前にとりあえず近いです。

「す、すぐには帰りませんから」

 僕がそう言うと魔女さんは少しだけ安心したような表情になる。眉の力が抜けて、寝ていたときに近い顔になった。

 

 魔女さんは何を考えていたのか、それからしばらくは僕に抱きついたままだった。

 あまりの展開に僕の頭は追いついていなかったわけだけれど、あれだけ女の人に長く抱きつかれていては、僕としてもちょっといろんな問題がある。

 具体的に言うのは僕が恥ずかしいからだめだけれど、でもとりあえず魔女さんをどうにかしなければならないと僕は考えた。

「あの、魔女さん、もうそろそろ……」

 降りてもらえませんか。という語尾は小さくなっていく。魔女さんが思いきりくしゃみをしたからだ。抱きついたままなのに。

「ひふぁ、っく! っあ……ご、ごめんなさいっ」

 そう言いながらも地面に降りないのはなにかの意地なのだろうか。

 やれやれと思いながら、僕は魔女さんの腰の辺りを思いきり抱きしめた。魔女さんは皮革の腰当てをつけていたので、それになら触ってもいいだろうと考えたからだ。

「ひあっ!」

 思ってもみなかったのだろう。魔女さんは思いっ切りびっくりすると、唇を震わせながら僕の方を見た。

「あ、あの、」

「ダメです。もうそろそろ重いです」

 僕はそう言うと、魔女さんの腰を両手で掴んで長枕のような石の上に立たせた。

 ふうと一息つく。僕が魔女さんに告げた言葉は結構本心で、長く抱きつかれている内に魔女さんのいい匂いよりも重さの方が勝ってきていた。

 今日はなんで色々重いものが身にのし掛かってくるのだろう。厄日だろうか。

 石の上に立った魔女さんは僕と同じくらいの身長になる。僕が魔女さんの方を見ると、魔女さんはしゅんとしていた。

「あの、じゃあ、えっととりあえず荷物……」

 僕が話し掛けると、やっぱり魔女さんは肩をぴくっと動かす。僕ってそんなに怖く見えるのだろうか。少し心外。

「は、はい。えと、玄関の前よね? あの、私は家の中から回っていくから」

 魔女さんはやっぱり魔女さんで、何が恥ずかしいのか僕には分からなかったけれど、魔女さんの顔は真っ赤になっていた。

 顔を真っ赤に染めたまま魔女さんは部屋の奥に行ってしまう。僕は魔女さんのいなくなった場所をぼおっと見つめていたけれど、真っ黒な犬に、ばうっ、と吠えられて、慌てて玄関の方へと戻った。

 

 二本の石柱によってつくられた入り口の前に置いてある大きなナップサック。もう少し玄関に近づけようと思って持ち上げてみると、何かの間違いじゃないかと思うほど軽かった。やっぱり疲れが溜まっているのとそうでないのとでは違うのだなと実感する。

 肩に背負うのではなく、両手で持ち上げるようにしてナップザックを玄関前に持っていく。三歩ほどで玄関前に到着した。

 魔女さんを待つばかりとなったのだけれど、その魔女さんが妙に遅い。魔女さんの家の中は迷路のように入り組んでいるのだろうか。

 僕がそう考えていると、中から真っ黒い犬の、ばうっ、という鳴き声が聞こえた。その直ぐ後に、玄関から魔女さんが転がるように出てきた。

「ご、ごめんなさい」

 そう言う魔女さんは、なぜだか少し息切れしている。

「あの、……頼んでおいたものは全部入ってます?」

「え? えっと、荷物は僕が詰めたんじゃないので……。多分あると思いますけど」

 僕が伝えると、魔女さんが「いつも足りないものが二、三ある云々」ということを話してくれた。だけど、そうは言われても僕は中に何が入っているのかよく知らないのだ。小麦粉は間違いなく入っていると思うけれど。

「とりあえず……中身を確認しますか?」

「そうですね、えっと、お願い」

 僕がやるのか。

 口には出さなかったけれど僕はそう思った。魔女さんは結構何でも人にやらせちゃうタイプなのだろうか。

「じゃあ、こんなところでやるのも……」

 言葉を濁しつつ、魔女さんは玄関の扉を開けて僕を家へ招こうとする。入っていいのだろうかと少し思ったけれど、入らずにどうにかなる状況でも無いと思ったので、僕はナップサックを担いで入ることにする。

 魔女さんの家の中は、ハーブと犬と画材の匂いがした。画材の匂いというのは僕自身でもよく分からなかったけれど、町にいる絵描きの人と同じ匂いだった。

 明るいのにランプが点してあるので家の中はかなり明るかった。灯の色が壁に映って暖かい感じがする。家の中はいたって普通だったので、さっき魔女さんが遅れたのはランプを点していたせいだろうかと僕は考えた。

「こっちにどうぞ」

 扉を閉めた魔女さんが僕の視界の中に入ってくる。言いながら部屋の奥に歩いていく。ちなみに部屋の左側にはなにやら色々なものが積まれて雑然としていた。大きなキャンパスが裏向きに置かれていて、そこから画材の匂いがしているのかもしれない。

 僕が進んでいくと、玄関からでは見えなかったところにキッチンがあった。その手前にテーブルがあり魔女さんもそこにいたので、僕はナップサックをテーブルの前に下ろした。

「ありがとう」

 お疲れ様という意味も含んだ笑顔で魔女さんが言う。そしてそのままテーブルの椅子を引いて、「どうぞ」と続けた。

「えーっと」

「ここまで運んでいただいたのに、おもてなししないわけにはいきませんから」

 さっきよりかなり丁寧な言葉で魔女さんが僕に微笑む。透き通った表情に、僕は身体の中が熱くなるような感じを覚えた。

「は、はい」

 なんでこんなときに言葉は詰まってしまうんだろう。きっと変な人だと思われたに違いない。そんなことを考えながら、僕は椅子に座った。

 パキンと音がしてコンロに赤い火が点る。大きな鉄色の鍋の隣で、小さな鍋でお湯を沸かすらしい。

 それにしてもコンロの半分以上を占めているあの大きな鉄鍋はなんだろう。魔女さんは魔女らしく、あの鍋でいかがわしいものでも煮るのだろうか。

 ぼおっと見ている内に、魔女さんはおもてなしの準備を着々と進めている。さっきまでの人と同一人物とは思えない仕事っぷりだ。

 ツタの巻いたような絵が描かれている陶器のポットに紅茶の葉を入れて、棚からカップを取り出す。まだ蓄えがあったのか砂糖らしきものや、あとは僕にはよく分からないものが続々と机に並べられていく。

 コツコツと音がしたらそれは小さな鍋の水が沸騰している証拠。魔女さんは取っ手をそーっと掴むと、さっきのポットの中にお湯を注いだ。木のスプーンで中を掻き混ぜて、一つすくって飲んでみる。魔女さんは至福のひとときという顔をした。

 ポットを手にキッチンから出てきた魔女さんは、カップに年頃の紅茶を注ぐと僕を見た。

「えっとね、これは砂糖で、こっちはシナモン。シナモンはあんまり入れると渋くなっちゃうからね」

 ガラスの容れ物に入った二色の粉を指さして魔女さんは説明する。その間にも紅茶の香りとシナモンの匂いが僕を魅了していた。

「あとはお好みでどうぞ」

 そう言って微笑むと、魔女さんは床にぺたりと座り込んでナップサックを紐解き始める。

 それじゃあ、と僕はいい匂いのする二つの粉を手元に寄せた。

 シナモンからはとってもいい匂いがしたけれど、実は匂いだけだということを僕は知っている。あんまり入れすぎると魔女さんの言ったとおり渋くなったり辛くなったりする。

 だから、砂糖をいつもより多めに入れてシナモンを指先ほど入れるようにしよう。

 そう思いながら、僕は木のスプーンで砂糖とシナモンをすくってカップに入れる。少しだけ紅茶の色が少しだけ若くなったような気がした。

 匂いまでもを呑むようにして紅茶を飲む。魔女さんの淹れてくれた紅茶は、パン屋の奥さんのそれよりもおいしいような気がした。

「んー……」

 低いところから魔女さんの声が聞こえたので、僕はそっちの方を見てみる。何をしたいのか、魔女さんはナップサックに首を突っ込んで中を覗いていた。

 魔女さんの周りには、既に中から取りだしたらしい小麦粉やチーズや衣服や、魔女さんの私的なものが散らばっていた。女の人の部屋に勝手に入るようないけない感覚になる。

 魔女さんはナップサックの中を一通り掻き回すと、ぷはっと顔を出した。それから僕の視線に気付いてこっちを見る。

「どう? おいしかった?」

 昼下がりの日差しのように柔らかい微笑みに、僕はやっぱり赤くなる。

「はい」

 魔女さんと目を合わせているだけでいけないことをしているような気持ちになってしまう。慌てて視線を外しても、魔女さんは不思議そうに僕を見続ける。それが更に恥ずかしい。

「あの……」

 僕は魔女さんの方を出来るだけ見ないようにして魔女さんに話し掛ける。

「なにー?」

 波打つ金髪を揺らして魔女さんが僕の方を見ている。

「えっと、足りないものとかは……」

「大丈夫。無くても生きていけますから」

 そう言うと、魔女さんは立ち上がってから僕の向かい側の椅子に腰掛ける。

 えへへー、とよく分からないような笑い方をした。

「あのね、若い男の子とお話しするのは久しぶりなの。……無防備なとこも見られちゃったし」

 魔女さんは後ろを向いて棚の中からカップを取り出す。陶器のポットから紅茶をそれに注いだ。魔女さんは砂糖もシナモンも入れずにカップに口をつける。

 魔女さんがふぅと息を吐くと、僕の所にまで優しい息が届くような気がする。もうこうなったら魔女さんを見ないわけにはいかなくて、僕は身体の中で火が燃えているかのように悶えながら魔女さんと相対することになる。

「あの、ごめんね? 急に抱きついたりして。あれ昔からの癖なの」

 そう言うと、魔女さんは机にカップを置く。白い指でカップを柔らかく叩いて行儀悪く遊んでいる。

 ね、と上目遣いで確認するように言われる。僕は間抜けな魚のように口をぱくぱくさせることしかできなかった。辛うじて空気の隙間に言葉を詰めることが出来る。

「あ、えっと、はい」

 それでも単語未満の音の欠片にしかならない。魔女さんはそんな僕を見て、くすくすと笑う。

「そんなに怖がらなくてもいいのに。キミも私が怖いんだ?」

「そ、そんなことは、……無いです」

 そう、怖くてこんな風になっているんじゃない。もっと別のなにかのせいなんだ。僕はそう言いたかったけれど、それを言ったらまた魔女さんに笑われそうで言えなかった。

 魔女さんは、ふーん、と口の先っぽを尖らせて僕を見ながら紅茶を飲む。

「ね、キミって何歳なの?」

「多分、十五です」

 僕がそう言うと、魔女さんが柳眉をぴくっと動かす。

「多分、って?」

「僕は、その、捨てられてたから」

 僕は捨てられていた。そうなんだ。気付いたらあの町にいた。

 その時は自分が十歳だということと、言葉がしゃべれることと、人並み以上に愛想笑いが良かったことだけは覚えている。

 両親の顔も覚えていないし、そもそもそんな人がいたのかどうかも分からない。

 僕を育ててくれたパン屋の主人と奥さんの話によると、ある朝一人でぽつんと広場に座っていたらしい。二人を見た僕が言った言葉は、「おなかすいた」だったそうだ。

 だから僕は十歳だったと言い張ったけれど、それを証明するものは何一つとして存在しない。それ故の、多分。

 魔女さんは僕を見る。僕も魔女さんをちょっとだけ見る。

「そっか」

 魔女さんは手元のカップに視線を落として、それだけ言った。

「キミもそうなんだ」

 魔女さんは、そう言った。

 

「私もね、育てられた人に、お前は捨て子だったんだぞ、って言われたんだ。その人はすっごく優しかったけどね」

 魔女さんはそう続ける。

「なんだか力が抜けちゃうよね、私はいらない娘だったんだろーかなーって」

 魔女さんは紅茶をもう一口飲んでから僕の方を見る。青い瞳が僕を見据えていた。しっかりと目が合うと、魔女さんは微笑んでくれた。

 なにか言うべきなのだろうかと僕が思案していると、魔女さんが「よし」と言って席を立った。

「この話はナシ、ナシね」

 元気よくそう言うと、魔女さんは僕の額にキスしてから、また床にぺたりと座って荷物の仕分け作業に戻ろうとした。

「あ、」

 僕には一体なにがなんだか分からなくなった。魔女さんの顔が近づいたかと思うと、後には額に柔らかい感触が残っているだけだ。

 絵の具を水に垂らしたように僕の頬は真っ赤になる。だからといってどうすることもできなくて、僕の心を知ってから知らずか魔女さんはくすくすと笑っている。

 ものすごく動揺して、自分を落ち着かせようと紅茶を飲もうとしたらおなかが、ぐぅ、と鳴った。

 恥ずかしさのあまりに全身から汗が噴き出そうだった。今の今までおなかがすいているということさえ忘れていたのだ。しかも油断した隙に、これ。

「おなかすいた?」

 魔女さんは床に座ったまま僕を見上げている。椅子に座っているから自然と見下ろす形になってしまうわけだけども、ここからでは見えそうで見えてはいけない部分がいっぱいある。

 そんな事を考えていると、またおなかが鳴った。いい加減にしてくれと自分の身体の欠点を恥じるけれど、そもそも魔女さんにキスされた恥ずかしさと魔女さんにおなかの鳴き声を聞かれた恥ずかしさのお陰で動くことも出来ない。

「やっぱりおなかすいてるんだ」

 そう言いながら魔女さんは窓の方を見る。

「もうお昼すぎちゃってるね」

どこを見ているのかは分からないけど、言いながら魔女さんは立ち上がった。そのままキッチンの方に回って、大鍋の方に火を点ける。

あの大鍋に入っているものは食べ物なのだろうか。だとしたら一体何だろう……。

「よおし、じゃあ簡単なものになっちゃうけど、いい?」

 魔女さんは大鍋の向こうから顔を出して僕に聞く。さっきの木のスプーンを何倍も大きくしたようなもので鍋を掻き混ぜていた。

「大丈夫、ですけど……ごちそうになっていいんですか?」

 僕がそう聞くと、魔女さんは大鍋の向こうから声を張って言う。

「だーいじょーぅぶだよぉー」

 そんなに遠い距離でもないのだけれど。

 そういえば、大鍋を掻き混ぜる魔女さんの姿はどこかの絵本で見たことがあるような気がする。小人が頑張ってたくさんの料理をつくるようなやつ。タイトルはなんだっけ。

 魔女さんの姿はかわいらしい小人の姿に重なって見える。ふわふわの金髪があるところで魔女さんの方がかわいい気がするけれど。

 身体全体を動かして踊るように大鍋を掻き混ぜる魔女さんは、ますます絵本の登場人物のように見えてくる。少し前から聞こえてきた鼻歌もそんな雰囲気をつくりだしている。

「こーんなもんかなぁ」

 僕が紅茶を飲み終わるのとほとんど同じくらいの時に魔女さんがそう呟いた。紅茶は少し砂糖を入れすぎたみたいで、カップの底に溜まった砂糖とシナモンが甘かったり辛かったりした。きっともうちょっとだけ混ぜたら丁度良かったのだと思う。

 魔女さんは、小さい方のスプーンで大鍋の中身をすくって味見をする。耳がぴんと動いた。

 輝いた青い目が僕を捕らえる。目を合わせてはいけないときに目が合ってしまったようだ。

「おいしいよ!」

 基本的に自分が作ったものはおいしいと感じるものなのだけれど、魔女さんはそれを知っているのだろうか。

 僕がそう考えていると、魔女さんは棚からかさの深い陶器の器を取り出した。そして次にそれよりも少し大きな広い皿を出す。

 一体なにが出てくるのだろうか。魔女さんの料理は、魔女だけにチキンの魔女風とかなのだろうか。それとも、もっと昔の魔女みたいに生き血をすするような料理でも出てくるのだろうか。僕にはさっぱり見当がつかなかった。

「お待たせしましたぁ」

 魔女さんが両手に二つの器を載せてキッチンから出てきた。そして左手に載せていた器を僕の前に置き、もう一つは魔女さんの席の前に置く。

 それはシチューだった。

 たゆたゆと器から湯気が上がってくる。ミルクや砂糖の甘い匂いではなく、野菜のおいしそうな匂いだ。僕がいつも食べるシチューよりも色が少し濃いのは、多分ミルクが足りなくてその代わりに野菜や果物を入れるからなのだろう。その証拠にほら、ニンジンやブロッコリーや山芋のようなものも入っている。

 僕がシチューを凝視している間に、魔女さんはパンをいくつかに切って食べやすくしたものを広い皿に載せてやって来た。

 それを二つの器の間に置くと、魔女さんは椅子に座る。金髪を耳にかけると僕を見た。

「私は、お食事のごあいさつはしない主義なのです。――はい」

 はい、の所で魔女さんが新しい木のスプーンを渡してくれた。さっきの紅茶のスプーンがあったんだけれど、どうやらそのスプーンの方が大きいものらしいので大人しくそれでシチューを食べることにする。

 僕は魔女さんから手渡されたスプーンをシチューの中に思いっ切り突っ込んでみる。どうやら特に変なところはないみたいだ。

 一口食べてみようと僕が思っていると、なにやら魔女さんの方から視線を感じた。魔女さんの方からといってもそれはもう魔女さんしかいないので、魔女さんが僕を見ているに決まっている。

 僕が顔を上げると、さっき僕がシチューを凝視していたように魔女さんが僕を見つめていた。魔女さんと目が合う。

「シチュー、おいしいからね?」

「えっと、いただきます」

 なぜ語尾が問いかけるように上がっているのだろうかという思いは抑えておく。魔女さんがおいしいと言っているんだ、このシチューはおいしいに違いない。そう熱心に考えながら、僕はスプーンを口元へ運んでいく。

 食べた。

「あ、」

「ええっ!?」

 おいしい。すっごくおいしいんだけれど、なんで魔女さんはあんなにのけぞって驚いているのだろう。魔女さんの動きに僕が驚いて、シチューの味に集中できなかった。

「あの、おいしいです」

 僕はそう言った。言っておかないと、なんだかだんだん魔女さんの瞳がうるうるしてきているのだ。

「あ、よ、良かった。私の作ったシチューを他の人に食べて貰うなんて久しぶりだから……」

「すごくおいしいです。甘くて」

 一体どれくらい煮込んでいたのだろう。野菜は口の中に入れるだけで溶けていくような感じだ。シチュー自体はミルクの味はあまりしないけれど、むしろその方がクセがあっておいしいと思う。

 魔女さんは僕がシチューを食べる様子に安心したのか、肩の力を抜いてようやくシチューを食べ出す。

「うん。やっぱり、誰かと一緒に食事をするなんて久しぶりかな」

 魔女さんは耳をぴくぴく動かしながらシチューをおいしそうに食べている。

「魔女さんは……、町でみんなと暮らさないんですか?」

 僕は心に思うがままに魔女さんに聞いていた。なんで口を開いたのかは分からない。でも、急に魔女さんのことを知りたくなった。こんなにおいしいシチューを作れる人のことを。

「んっとね、私はここから離れられないの」

 口の端にシチューを少しだけ付けた魔女さんが、パンをさらに千切りながら言った。

「ここから?」

「そーなの。私は別にどこでもいいんだけどね、彼はここじゃないと嫌みたい」

 彼。

 誰だろう、それは。

「彼って、」

 なんだか聞いてばっかりだ。そんな意味のない感想を覚えながら僕は魔女さんの顔を見つめる。

「そこにいるよ」

 一口サイズに千切られたパンを口に放り込みながら、魔女さんは窓の外を見る。僕もつられてそっちの方向を見た。

 ばうっ。

 そこには、ハァハァさせながら舌を垂らして、楽しそうに尻尾を振っている真っ黒な犬がいた。

「彼?」

「そう、彼」

 魔女さんはパンの一欠片をシチューに浸して、それを食べる。僕はスプーンでニンジンをすくった。

 どうやら、彼というのは人間ではなかったらしい。

 ばうっ。

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