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僕の言葉をどう受け取ったのかは分からないけど、魔女さんは嬉しそうに耳をぴくぴくさせていた。 魔女さんはそのままスプーンでシチューだけをすくって食べる。 「おいしいね」 「はい」 なんだかとても恥ずかしい。こんな時に言う言葉じゃなかっただろうか。僕は指先からほっぺたまで真っ赤になる。サラダを食べて少し落ち着こう。 「あのね、」 魔女さんは半分溶けているジャガイモを食べると、僕の方を見た。呑み込んでから言う。 「リクトニア以西ではフィロイルの悲劇の後からずっと、今も紛争が絶えないっていうこと、知ってる?」 思いも寄らないことを魔女さんは口にした。 フィロイルの悲劇。 元々は魔術師を多く生み出す民族だとして迫害されてきたトリスク人が、革命直後で衰弱していたリクトニア共和国を侵略した事件の俗名だったと思う。リクトニア王朝はトリスク人の迫害を先導してきたため、リクトニア革命軍の内部にもトリスク人は多数在籍していたのだけれど、トリスク人酋長はそれらを無視してリクトニアに侵攻した。 敵味方も分からなくなるほど入り乱れ、双方とも無差別殺人が行われたと聞いている。 でも、それと魔女さんとはなんの関係があるのだろうか。 「知ってます。でも、」 「解放者達のことは教えてもらった?」 僕の質問を流して魔女さんは言葉を続ける。 解放者達とは、紛争地域の拡大を止めるために結成された民兵だったと思う。民兵とはいえ、彼らの働きは素人とは思えないほどの活躍だったそうだ。ちなみに僕はそのころに生まれた。 「パン屋のご主人から。ご主人も人づてに聞いたそうなので、本当かどうかは分かりませんけど」 町にも、リクトニアの方から流れてきた人がたまに来る。町のみんなはそういう人から話を聞いたり、隣町へ貿易しに行ったりするときに話題をもらってきたりする。 「そう」 魔女さんはそこで目を伏せる。魔女さんとみんなの関係に、まさかリクトニアの紛争が関わってくるとは思ってもいなかった。 「……私もキミと同じように親がいなかったんだけどね、」 魔女さんが僕の目を見ながら、訥々と語り出す。 私もキミと同じように親がいなかったんだけどね、その、……生まれてすぐに町の路地裏に捨てられていたんだって。 誰が捨てたのかは全然分からなくて、町の人ではないんだって。きっと、よそから来た人が捨てていったんだろうって。 うん、私を拾ってくれた人がそう言ったの。 あのね、私は生まれたときからもの凄い魔術の才能を持ってたの。だから、町のみんなに拾われてもあんまりよくは思われてなかったんだと思う。だから捨てられたのかもしれないね。 えっと、……私が四歳か、そのくらいの時からかな、この町にも解放者達が来たの。あ、解放者達っていってもまだちゃんとしてなくって、その……カタチになる一歩手前っていう感じの。 何をしに来たのかって言うとね、彼らはスカウトしにきたの。有能な人材を。 キミは知ってる? 魔術を使える人は、「見える」んだよ。世界がもっとちゃんとして見えるの。 例えば、――私は違うと思うんだけど――、魔術師は、五感が普通の人より遙かに優れているっていう話があるよね。あんまりにも耳が良すぎて、半径十メートルにいる全てのものの動きを把握できるとか。 そんな感じ。 リクトニア紛争は泥沼で、半分破壊された街での戦闘になるの。中世の騎士達みたいに広いところで戦えるわけじゃないから。 それでね、もう分かるかな……、魔術を使えなくてもいいから、「見る」ことができる魔術師を、それもより広い範囲を知ることの出来る魔術師を、彼らは探していたの。 町のみんなの中には、彼らの求めるような魔術師はいなかった。私を除いて、ね。 みんなは解放者達に私のことを教えた。強大な魔術を使える子供なんてあんまり抱いていたくないもの。 子供だったから、流石に彼らも戸惑ったみたい。でも私がみなし児だと聞いて……、それよりも、町のみんなが私のことを教えたということで私を引き取った。生きていようが死のうが関係ないと、みんなのそういう態度が気になったんだって言ってた。 私は彼らの手で育てられた。魔術の才能も、解放者達の中では五本の指に入るくらいだったかな。 でも私は未だ子供だったから、後ろの方で彼らの支援をすることが主な仕事だった。 そこで、そういうところで、私はあの人に育てられていたの。 ……キミには分かるかな。 私は彼らを、仲間を守るためにずっと「見て」いなきゃならなかったの。だから彼らが人を殺すと、それが手に取るように分かるの。すぐ目の前にあるように、死ぬ直前の吐息が耳元で聞こえるの。その逆はもっと辛かった……。自分の知っている人がすっと冷たくなっていくのなんて、もう見たくない……。 うん。 ある時にね、私はあの人を連れ出した。ずっと二人でいたかったから、彼らと離れた場所で座って話をしていた。 私は、そこが紛争地帯だということも忘れて。 私とあの人は襲われた。共和国軍かトリスク軍かも分からないままだった。あの人は私を、かばって、っ……。 「見る」余裕もない私は、なにも分からないまま恐怖に任せて魔術を使った。「嫌、あっち行って」ってね。 訳も分からないまま、近づくもの全部を吹き飛ばし続けたの。それで、気付いたときには、敵は吹き飛ばされて頭を打ち付けたり、手足が変な方向に曲がったりしていた。 最後に、後ろから誰かが倒れかかったの。それも敵だと思ってね、思い切り飛ばしたときに気付いたけれど、もう遅かった。 ぶちっていう嫌な音がした。 私は慌ててあの人のそばに行った。でも、もう、だめだった。おなかから血がいっぱい出てて……、みんなはすぐに駆けつけてくれたけれど、それでもだめだった。「どいてろ」って怒鳴られたけど、あの人はもう死ぬって、自分でも分かってて、それで、私をそばに置いて、頭を撫でてくれた。 それだけだった。 私はショックですごい熱が出て、ずっと寝てたの。それで、起きたときには……、魔術が使えなくなってた。「見る」こともできなくなっていたの。 それで、魔術も使えなくなったからここにいる理由もないって、私は解放者達に別れを告げた。もう、ゆっくり休もうって。 私は町に戻ってきた。戻ってきたときには、私は町の人にとって「魔女」になっていた。 追いやったことに対して復讐でもするんだろうとみんなは思ってたのかな。 私は結局みんなとなじめなかった。もう魔術は使えなくなってるのにね。 魔女さんはガラスのコップに水を注いで、自分の前と僕の前に置いた。それに口を付けると、喉元がかすかに動く。 「だからね、キミが何の偏見もなく私に会いに来てくれたって知ったときはすごくうれしかったんだ。だから、キミには内緒にしておきたかったの」 魔女さんが僕を見て首を傾ける。それになびいて金髪が揺れた。 「でも、私のこと知りたいって言ってくれたから。……そーゆーこと言ってくれたのは、初めてだったから」 魔女さんが頬を赤く染めてうつむく。 そこで沈黙が降りた。 魔女さんの言葉に呆然とするしかなかった僕は、そこでようやく今の状況に気付きつつあった。 僕はとんでもないことを聞いてしまったのではないか。魔女さんの肩がかすかに揺れているのが目に入って、僕はそう思い始める。 だからといって僕はどうすることも出来なくて、ただただ魔女さんを不安げに見ることしかできなかった。 「あのね、」 震える声で魔女さんがそう呟く。僕はびっくりして、改めて魔女さんの方を見た。 「…………言えてよかった……っ、ありがと…………!」 頬を真っ赤にして、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら魔女さんは僕に微笑んだ。 「魔女さん……」 僕の声は届いたのか届かなかったのか。それは分からなかったけど、魔女さんはぐじゅっと鼻をすすってもう一回笑った。 魔女さんが落ち着くまで待っていると、窓の外の月はもう真上の辺りまできていた。今は夜の何時頃なのだろうか。魔女さんの部屋には時計もない。 僕も片付けを手伝おうと思ったのだけれど、魔女さんはダメだと言い張った。仕方なく僕は椅子に座って魔女さんが皿やスプーンを雑巾で拭くのをずっと見ていたのだけれど、向こうの方からだんだんと眠気が押し寄せてきた。 魔女さんががんばっているのに、一人勝手に眠るわけにもいかないだろう。ここはガマン、ガマンだ。 そう思っているといつの間にか眠気に負けていて、船をこぐ仕草で僕は起きる。それを何度か繰り返していると、魔女さんがコップに水を入れて僕の隣に立っていた。 「はい、これはね、眠る前に飲むと虫歯にならないんだよ」 「ありがとうございます」 そんなものがあるのか、と僕は半分夢見ながらコップを受け取る。そして、それを一口飲んだ瞬間に一気に目が覚めた。 「うわっ」 危うく口の中のものを全て吹き出しかける。これは一体なんなのだろうか。さっきのサラダを食べたときのように口の中が涼しくなったので、これもハーブが関係しているのかもしれない。 「ふふ、それはね、ハーブの朝露を取っておいたものなの。それを毎日飲むと歯が真っ白になるよ」 そう言って魔女さんは自分の歯を僕に見せる。なるほど、確かに魔女さんの歯は真っ白だ。 コップの中の水を揺らすとセージの香りが漂ってくる。それを一気に飲み干すと、鼻から氷が出てくるのではないかと思うほど口の中が冷たくなった。 「おりこーさんだね」 魔女さんは空になったコップを僕から受け取ると、僕の頭を撫でた。なんだか無性に恥ずかしくなる。 「それでね、ベッドはこっち」 そう言いながら、魔女さんは僕を立たせる。こっち、と眠たいままの僕の手を引きながら歩いた先は、色々な本が所せましと積まれている部屋だった。ベッドはどこなんだろうと見回すと、部屋の窓の下に辛うじてベッドと呼べるものがあった。 「へ、変な匂いがしても、……気にしないでね」 ランプの明かりもなかったからよくは見えなかったけど、やたらと恥ずかしがりながら魔女さんは部屋を出て行った。 僕はふらふらとベッドの方へと近づいていく。窓の下にある毛布だけが、切り取られたように月で照らされて白くなっている。僕は白く照らされた毛布に思い切り倒れ込んだ。匂いを嗅いでみる。 大丈夫です魔女さん。変な匂いはしませんでしたから。 どちらかと言うとむしろいい匂いだと思う。なんだろうか、パンジーのような香りだ。 僕はそんなことを考えていたけれど、もう眠気に勝てないと判断してベッドの上に這い上がった。そのまま毛布にくるまる。 きっと、今日は色々なことがあったから疲れたのだろう。よく眠って、明日は元気に帰れるようにしよう。 なにしろ僕はぐっすりと眠っていたのだ。だから、それがいつくらいだったのかというのはよく分からない。でも、窓のカタチに切り取られた月の光の位置は、少しだけ変わっていたと思う。 最初は、かたり、という音が少しだけ聞こえたのだと思う。それから毛布が少しだけめくられて、僕は隣に温かいものを感じたので少しだけ目を開けると、そこには魔女さんがいた。 「あ、なっ、えっと、」 目が覚めた。近いです、これまで以上に近いです。魔女さん。 「おやすみ」 魔女さんの瞳に映った僕の瞳の中に魔女さんが見えるくらいに近い。魔女さんは月に照らされながらそう言うと、僕をそっと抱きしめた。 僕の両手の行き場がどこにもなくなってしまう。一体どうすればいいんだろう。魔女さんを抱きしめてもいいんだろうか。 右手で腰の辺りに触れてみる。柔らかかった。魔女さんが、ん、と少しだけ動く。 あぁ、そっか。さすがに魔女さんも眠るときは腰当てを外すんだ。これでますます手の息場所が失われた。 「あの、なにも同じベッドじゃなくても、」 「……だってベッドは一つしかないもの」 なにを言っているんだろう、という表情で魔女さんが僕を見る。確かに、一人で暮らしているのだからベッドは一つで事足りるのかもしれない。でも僕に貸してくれたということは、もう一つベッドがあるからなのだと思っていた。 魔女さんがじぃっと僕を見る。もう逃げ場がない。 さっきは涼しかったはずなのに、今は身体が熱い。汗をかきそうだ。 「あの、」 沈黙に耐えられなくなって僕は言葉を作ってしまう。言うべき話なんかどこにもないのだけれど。 「なーに?」 魔女さんが吐息と共に言葉を吹く。透き通るような風が僕を吹き抜けた。 「……抱きしめてもいいですか?」 「いいよ」 つい言ってしまった。言ってしまったのだけれど、それに「いいよ」と応える魔女さんも大丈夫なのだろうか。 魔女さんは少しだけ困ったように笑うと、両手を僕の背中でクロスさせて距離を詰めた。もう魔女さんの胸の柔らかさが分かる近さだ。 「はい」 僕と魔女さんは同じ目線にいる。だから、きっと足は僕の方が長いはずだ。 僕は戸惑いながらも魔女さんの腰に手を回す。ふっ、と近くなって、気付けば魔女さんの顔が見えないような体勢になっていた。 なんだろう。 一緒になるっていうのはこういうことなのだろうか。ひどく安心できる。 まるで深海に一人取り残されたように、広大な草原で誰かと出会ったときのように。 「あったかいね」 「あったかいですね」 こめかみから伝わる魔女さんの声からは、魔女さんが頬を真っ赤に染めて恥ずかしがっている様子がよく分かった。 僕もなんだか恥ずかしかった。でも、このまま眠れそうな優しい恥ずかしさだった。 魔女さんの身体は柔らかかった。腕も、背中も、どこに触れてみても。 その後のことはよく覚えていない。きっと二人ともすぐに眠ってしまったのだろう。 魔女さんの方が僕よりも早く眠ったということは分かる。抱きしめあってベッドの中に居たわけなのだけれど、魔女さんの寝息が聞こえたかと思うと、魔女さんが急に重くなった。 僕はびっくりしたけれど、その割にはそのまま魔女さんの胸に沈んだままぐっすりと眠ってしまった。 そして、今は朝だ。 足の方は、窓の形に切り取られた陽の光で照らされている。 きのうの晩より明るくなったので部屋を見回してみると、やっぱりこの部屋には溢れるほど本が置いてあった。本が多すぎて、本の表紙と床の区別が分からない。 隣にはまだ魔女さんが眠っていた。 エンガワでお昼寝をしていたときよりも、ずっとずっと可愛い寝顔だった。 僕は、昨日魔女さんに「抱きしめてもいいですか」と言ったときのように、衝動に駆られて魔女さんの金髪に触れた。くすぐるような柔らかい感触が指の腹にかすかに伝わる。 「ふぁーすと、クリア。C地区へ向かいます……」 なんの前触れもなく魔女さんが寝言を呟いたので、僕はびっくりして指を引っ込める。それに気付いたのか、魔女さんはうすく目を開けた。 「はい、大丈夫、大丈夫です……」 魔女さんが眠たげな瞬きに合わせてそう言った。僕は驚きが覚めやらず、びっくりしたまま固まっている。 魔女さんはもう一度ゆっくりと目蓋を閉じたけれど、なにかに気付いたようで、思い切り上半身を起こした。 「だぅあっ!」 「あたっ!」 どんな起き上がり方をすればこうなるのかは分からないけれど、魔女さんは起き上がった拍子に僕のあごに激突した。やっぱり侮れない。魔女さんは石頭だ。 記憶が半分くらいどこかへ飛んでいってしまったような気がするけれど、魔女さんがいる手前、できるだけ痛がらないようにしようと努めた。 「だ、大丈夫ですかっ?」 魔女さんが四つ足を付くような姿勢になって僕を下から覗く。あぁその姿勢はダメです、見えちゃいます。腰当てもないのに。 僕は言おうとするのだけれど、あごへの衝撃の大きさのあまりなんだか上手くしゃべれない。 「ふぁいおうぶでふ」 言ってみたけれど、これじゃあ全然、大丈夫です、どころではない。 魔女さんもますます心配している。僕は慌てて手を振って大丈夫だとジェスチャーしたけれど、きっと伝わっていないだろう。 「ど、どこが痛いの?」 そんなものはあごに決まっているじゃないですか。そう言いかけるけれど、自制する前に口が痛くて言葉が出ない。 「ここらへん?」 魔女さんが小さな手の平で僕のあごをさすっている。僕がそこです、と頷くと、魔女さんは思い切りその部分を打撃した。 「いっ――――」 痛すぎて本当にいたいのかどうかも分からなくなる。僕はそのまま後ろへ倒れた。頭がくらくらする。 「ごめん、大丈夫だった?」 気付くと僕はあおむけになって、魔女さんは僕に馬乗りになっていた。金髪が魔女さんの方から垂れてくる。というか、やっぱり近い。 「えっと、大丈夫です。……けど、なんであんなことを」 「東洋の人は怪我を気合いで治すの」 僕が問うと、魔女さんはそう答える。しかしそれは本当だろうか。本当に治るのなら大したものだけれど、エンガワといい気合いで治療するといい、なかなか常識を凌駕しているような気がする。 そうなんですかと僕が呟くと、魔女さんはそうなんですと返す。魔女さんはまったく僕の上から降りようともしない。実は腰当てを付けていないお陰で、下着やなにかが見えたり見えなかったりするのだけれど、きっとそれにも気付いていないだろう。 「あの、魔女さん、そろそろ……」 「…………あ、あっ、ごめんなさいっ」 どうやら魔女さんは見つめ合うということに抵抗がないらしい。恥ずかしがる素振りもみせずにずっと僕の目を見続けている。そのお陰で、僕が声をかけないと魔女さんは気付かない、ということになっているのだと思う。不思議な人だ。 魔女さんがベッドの隅にどいてくれたので、ようやく僕は起き上がれる。 魔女さんは胸の前に毛布を手繰って、恥ずかしそうに顔を埋めた。 「ごめん……」 「あ、えっと、大丈夫です。気にしてませんし、治りました」 気にしていないのは本当だけれど、治ったのかどうかはいまいち自分でもよく分かっていない。もしかすると、本当に気合いで怪我が治ったのかもしれない。 「うん……」 顔は見えなかったけれど魔女さんは耳まで真っ赤になっていた。いつもの行動と比べても何らおかしなところは無いと思うのだけれど。 しばらくしても魔女さんはそのままだった。窓の外から、ばうっ、という鳴き声が聞こえたので、もう彼は走り回って遊んでいるのだろうか。 どうすればいいんだろうか、と僕はうつむいたままの魔女さんを見ながら考える。お腹がぐぅ、と鳴く。 なんでこんな時にもお腹が空くのだろう。魔女さんと僕の間に横たわる沈黙を退けたのは、腹の虫だった。僕としては恥ずかしいことこの上ない。 「あ、……お腹、空いた?」 「う……、はい」 なにかに気付いたように魔女さんが顔を上げる。毛布を胸の前にかき集めたまま魔女さんが僕をじっと見る。 「えーっと、もしかして、ですけど。……朝ご飯も、シチュー?」 「……ダメ?」 いえいえそんなことはありません。ただ三食ともシチューとは、やっぱりパン屋のご主人が言っていたことは本当なんだろうか。 僕が首を振って魔女さんに答えると、魔女さんはようやく機嫌を元に戻してベッドから飛び降りた。 魔女さんは寝癖のついた髪を振り回しながらドアを開けた。僕もそれに続く。 リビングに戻るとより強く絵の具の匂いを感じる。初めて魔女さんの家に上がった時と同じような感覚がした。 魔女さんにうながされて僕は椅子に座る。魔女さんはというと、キッチンに入ってシチューの準備を始めていた。 なんだか拍子抜けしてしまう。いつもなら、朝はパン屋の主人と一緒に奥さんに叩き起こされて、大慌てで焼きたてのパンを配りにいくのだけれど。魔女さんはゆったりと鼻歌を奏でながらシチューの大鍋を掻き混ぜているのだ。 まるで、どこか別の世界に来てしまったかのような変わりようだ。 やっぱり無理してでも昨日のうちに帰るべきだったのだろうか。なんだか、もうずっと魔女さんと一緒に居たいような、そんな気持ちが芽生えつつある気がする。 窓の外で、昨日と同じように遊んでいる彼をぼおっと眺めながら僕はそんなことを考えていた。 すると、気付いたときには目の前にシチューが並んでいた。パンも一緒だ。 「はい、おいしいシチューをどうぞー」 向かいに座っていた魔女さんが僕に向かって両手を広げている。よく分からないけど楽しそうだ。 「いただきます」 僕はいつもと同じように言ってから、パンを千切った。 焼きがきつすぎるのだろうか。魔女さんのパンは少しだけ表面が固い。でも中はやたらとふわふわしていて、口に入れると、噛んでいるのかもう呑み込んでしまったのか分からなくなる。 パンをふにゃふにゃと噛んでいると、魔女さんが僕をじいっと見つめてきた。なんだか今日はよく見つめられる。 「今日は、……帰っちゃうんだよね」 魔女さんが寂しそうに言う。やっぱり、と僕は思った。また泣きながら「行かないで」と言われるだろうか。 「……はい」 それでも僕は帰らないわけに行かないのだ。このままずっと町に帰らずに魔女さんの家にいたら、きっとみんなは僕が魔女さんに食べられてしまったとでも思うに違いない。それに、メアリがかえってきてねと言っていたのだ。 「うん。そっか、そうだよね」 魔女さんは悲しそうな仕草はするけれど、でもそこまでだった。眉は泣きそうに震えているのに、口元は無理に笑っている。 「さよならの時にさみしいのは嫌だもんね。楽しくしよ、楽しく」 そう言いながら山芋を口へと運んでいく。その仕草の一つまでもが僕には苦しかった。 「魔女さん……」 僕は両手に千切ったパンを持ったまま、魔女さんを呼ぶ。魔女さんは僕の方を向いた。 それだけだった。 僕も魔女さんも、堰を切ったように泣き始めてしまった。 それからはもう大変だった。 僕と魔女さんは、涙と鼻水をぼろぼろだらだらとこぼしながらシチューを食べ、一緒に後片付けして皿を一枚ずつ割った。 なにごとかと寄ってきた彼が、大泣きしている僕と魔女さんを見てばうっと吠えたので、もっと大変なことになった。 なんで吠えられているのか分からない魔女さんはもっと泣き出して僕に飛びついてきた。なんで魔女さんに飛びつかれたのか分からない僕は、魔女さんの勢いに押し倒されて転んでしまった。 もともと雑然としている部屋だったので、彼と魔女さんと僕が大暴れしたお陰でもっとひどいことになった。 でも、その中でも、あの赤い髪の人の絵だけは無事だった。 「よいしょ、っと」 僕はガラスのビンが大量に入ったナップサックを担ぐ。魔女さんの家に来るときと比べたら大分軽くなっていたけれど、それでも結構な重さだ。 二本の石柱のあるところまで進んでいくと、僕は玄関の方へと振り返る。 「あ、……」 魔女さんが初めて僕から目を逸らした。 「魔女さん……?」 「うん…………」 なんだか話を切り出せない雰囲気だ。僕は肩に掛かる重さを忘れて魔女さんのことを見つめる。 「あのね、」 不意に魔女さんが言葉を呟いた。顔を上げたそこには、なにかを決意したような瞳があった。 「あ、あのね、……また、来てね?」 「魔女さん……」 魔女さんは指先から耳まで真っ赤になって僕にそう言ってくれた。 きっと違うと思うのだけど、まるで魔女さんに告白されたように感じて、僕も恥ずかしくなる。 「はい。きっと、また」 僕は嬉しくなって元気に答える。また会えるように、と。 「ありがと」 魔女さんも嬉しそうにしながらはにかんで、倒れかかるようにして僕に駆け寄ってきた。 僕は羽のような魔女さんをしっかりと受け止める。 「本当はね、離れたくない。誰かと一緒にいるっていうことをずっと忘れてたの」 魔女さんが僕の胸に口元を当てて話している。 「だから、それを思い出させてくれたキミと、ずっと一緒に居たい」 でも、 「それはできないんだよね……。私は魔女で、キミは普通の人。私と一緒にいたら、キミも悪魔って言われちゃうもの。似たもの同士だから、ね」 魔女さんは僕の首にキスをしてから、ふっと離れた。 もの悲しくなる。 なんだか、身体が薄くなってしまったような気分だ。 僕は、あ、と情けない声を出す。それでも涙を出すまいと口をきゅっと結んだ。 魔女さんも泣きそうな笑顔で僕を見ている。 もう、行こう。 これ以上ここにいたら、きっと本当に帰れなくなってしまう。 魔女さんと僕が泣き出す前に、もう帰ろう。 そう思って町の方に振り返り、足を一歩踏み出す。 ばうっ。 「ん?」 二歩目を踏み出す前に、どこからか彼の声が聞こえた。どこだろうかと僕が周りを見ると、ハーブ畑から彼が走ってきた。 なにかをくわえている。 「あっ」 魔女さんがなにかに気付いたようだ。僕は魔女さんに目をやってから、また彼に目を戻す。彼はまっしぐらに僕に向かってきた。 その口には、上等な花束がくわえられていた。 何の花だろうか。僕はあまり花には詳しくないけれど、彼がくわえていた花達がキレイだということは分かった。 赤や白や黄色や青。この世にある全ての花を詰め込んだような絢爛さだった。 「あ、……」 魔女さんがしゃがんで彼と同じ目線になる。 「この花は……、私も……」 「え?」 魔女さんは彼を撫でながら、僕を見上げるようにしていった。 「あのね、町にも迎えられなかった私が途方に暮れていたときに、彼と出会ったの。優しくてね、頼りになった。 行く場所の無かった私をこの家に連れてきてくれたのも彼だったの。」 魔女さんはそう言いながら、どこか遠くの空を見る。 「忙しさで気が紛れていたのはほんの数日だけ。一息つくと本当に苦しくなった。夜になるといつも私はあの人のことを思い出して……、そして苦しんでた」 彼は一度花束を地面に置いてから、ばうっ、と吠えた。 「そんなときにね、彼は花束を持ってきてくれたの。これと同じ、色々な花が綺麗だった」 魔女さんは彼をいとおしそうに撫でてから立ち上がった。僕を見て言う。 「受け取ってあげて。きっと、きっとあなたにもこれが必要だから」 魔女さんの言葉を聞くと、僕はしゃがんで彼の目線に合わせた。 彼は地面に落としていた花束をくわえ上げると、僕をじっと見る。僕はその花束を受け取った。 手に取っただけで、もういい香りがしてくる。 「うん、じゃあ……彼の見送りも済んだようだし、ね」 魔女さんが、もう耐えられないという声で僕に微笑んだ。僕も立ち上がって魔女さんを見つめる。 魔女さんの青い瞳が涙で潤んでいた。 僕は自分の額を魔女さんのおでこにくっつけてから、言った。 「……さようなら、魔女さん」 来るときと同じような道を乗り越え、ようやく町に帰ってきた。 朝に出たつもりだったけれど、やっぱり町に着いた頃には正午を過ぎた頃になっていた。 僕を町まで導いてきた彼は、町の中には入らずに、町が見えたところで魔女さんの家の方に走り去っていってしまった。新鮮なミルクでもあげようと思ったのだけれど。 町のみんなに会うまではいつものように静かだったのだけれど、一人に出逢ったところでお祭り騒ぎになってしまった。パン屋の奥さんは、僕が帰ってきたということに涙を流して喜んでいた。「食べられてしまったのかと思ったわ」と奥さんは言っていたので、僕の考えはあながち間違っていなかったのかもしれない。 僕としてはご飯を食べてから昼寝でもしたかったのだけれど、通りの真ん中で押し合いへし合いになってそれどころではなくなってしまった。 彼に渡された花束は、メアリの姉のケイトにものすごい勘違いをされながら持って行かれてしまった。僕は大丈夫なのだろうか。ケイトがとても喜んでいたのがすごく気になる。 メアリは「おかえり」と迎えてくれたし、もう僕には言うことがない。 あ、でも一つだけ。 あの場に魔女さんがいたら、とは思うけれど。 どうして魔女さんとみんなの仲があまり良くないのか。 僕には未だによく分からない。 魔女さんはとってもいい人だったし町のみんなも気のいい人ばかりだ。 今度会うときはもっとちゃんとして、町に来ないか誘ってみることにしよう。 きっと今だからこそ、魔女さんは町にも住むことが出来るだろう。 僕はそう思う。 |