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「原始的な手法及び転機の夜に浮かぶ歯車」

 

 

 

 萩原とも

 

 結局何も出来ないわけで、それによって得られるのは抜群の効果を持つ自己嫌悪。まったくなんでこれ程簡単なことが出来ないのだろうか。する前に考えて、決意して、やっぱりできなくて、その後に後悔して。それを何度も何度も繰り返しても、やっぱりだめ。

 なんで。

 告白するなんて。

 言う言わないの問題じゃない。面と向かって対峙すると言えなくなる。もしくはいつもの言葉しか出なくなる。どうやっても、天地が逆さまになろうが部長が人並みに大人しくなろうが飛島が私を好きになろうが、私はそれを口に出せない。

 学校がないことを恨めしく思いながらベッドにうつぶせに倒れ込む。

 あぁ、どうしようかどうにかなるだろうかどうにかなるんだろうなどうなんだこれ。頭の中で勝手に展開されるのは今日の飛島との会話。用事もないのに呼び出しておいて、そして何も出来ずに適当に適当な話をして解散。会う直前までの心構えは上出来だった。文化祭以来に薄化粧までして。だけど待ち合わせ場所で飛島の顔を見た瞬間全てが潰れた。あの野郎。「おう、どうした? 今日って何かあったっけ?」「え、っと。いや違くて」「ん? 何か用事じゃないのか?」「あ、えっと、その、あー」「……何か変だぞ?」「え? え、あ、うん。大丈夫」「なんか大丈夫そうじゃないけど」「……えっと、さ、飛島」「なに」「あー、うん。ふ、冬休み中暇じゃない?」「あー、まぁ言われてみれば特に用事はないけどな」「そ、うん。えっとさ、あー、うん。特に用事はないんだけど……」「けど? 暇だから呼び出した?」「あ……うん、そんな感じ、かな」「はぁ、ともらしくもないな。……まぁ適当に飯でも食うか? いい時間だし」「あ、うん。ゴメン最初からそのつもり」

 思い出すだけで恥ずかしい、考えるだけで体中が熱くなる。取り敢えず私は一体何がしたかったのだろうか。小一時間問い詰めるべきだと考える。無駄かも知れないが。大体、どうして私はあんなに言葉が詰まったのだろうか。意味が分からない。意味が分からない上に、会話の主導権を飛島に取られた。一応その後に飯屋には入ったが、私が何を口走ったかはもう飛島以外に分からない。非常に怖い。

「あー、もう……、っあ!」

 恥ずかしさ通り越して苛立ちが混ざってきた辺りに私の行動の愚かさが目立つ。考えないようにと一区切りに溜息一つ吐いて、携帯に手を伸ばす。手のひらに収まるそれのスイッチを叩くと青色透過の映像が展開される。少しベッドに埋まってた。

 今日の記憶が無くなればいいのに、特に飛島の。

 倒置法までもってきて考えながら、適当に青色立体を触っていく。電力消費を抑えるためにフィードバック機能を切ってあるので、立体に浮かぶアイコンを弾いても感触はない。ただ揺れるのが見えるだけ。笠野に言わせれば、設定変えるだけで小一時間は遊べるとのことだが、端末の機能がうっとうしすぎてメール以外はほとんど放置気味の私にはそれが出来ない。

 まぁ出来たところでそれで小一時間も潰すつもりはないが。

 溜息。

「あー、」はぁ……。

 どうやら私にとって溜息は思考を転換するための、ある種のスイッチのようなものらしい。それのお陰で脳みその運動が今日の事というか飛島のことに向かっていく。

 恥ずかしい。

 まとめればその一言だが、正直まとめちゃいけないようなレベルの葛藤と狼狽と溜息と動悸が詰まっている。言っておこう、半端無いよ、これは。

 その後思考が五回転ぐらいした辺りでやっと身体の緊張が収まったのか、溜息が生まれる。無意識のうちに思考が軌道を外れていく。

 指の運動、ひいては頭の体操。何をやっているか自分でも分からなかったが、誰だって今の私の指先を見たらこう言うだろう。展開された立体映像をつついたり握ったり指先で弾いたり指を伸ばしてそれで当たらないように避けてみたりしていた。

 と、

 弄んでいた立体映像がなにか外部から情報を受け取ったのだろうか震えだした。

 メールが来た。

 言われなくても分かると頭の中で一人呟きながら新着メールと表示されたそれを指で弾く。青い軌跡を残しながらメールの差出人とタイトルと本文が表示された。

「はぁ?」

 なんだこれはと思わず呟く。そこに現れたのは……どこの国の言語だろうか、とりあえず日本語と英語と中国語とハングルでは無いのは分かった。つまりは私の知らない外国語だった。

「あー」

 取り敢えず読み解こうと文字を凝視したが、そもそもこれはアルファベットだろうか。どうにも違うような気がしてならない。

「あ」

 一つ思い出して、それを単発音で表す。なんかろくな言葉というか単語以上の音を声にしていないような気がしたが、しかし所詮独り言なのでそんなものはあってないようなものなのだからどうでもいいかと自己完結する。

 思い出したことというのは、自動翻訳システム・バージョン片倉。一体どんな話の流れだったか、今から思い出すのは至難の業だが、ともかく片倉は何語でも翻訳できるということを聞いた気がする。流石、帰国子女。

 とりあえず思いついたというか思い出したというか、ひどく他力本願な手段だったがそれに頼るために、片倉に外国語メールを転送することにした。

 二、三のキー操作でそれは可能になる。選択肢のように現出した文字列の、転送、を選んでつまむようにする。転送先はどこですか、片倉雫。差出人、タイトルもそのまま転送しますか、はい。本文もそのまま転送しますか、はい。

 安直な効果音が鳴りながら作業が進む。最後に、いわゆるポップな効果音とかいう奴が流れてメールが転送された。

「っと」

 転送しただけで気は抜けない。思考が飛島の方向に及ばないように、無心というか別のもので頭を一杯にするために外国語メールを見る。

 アルファベット……、じゃないけど。文字列をとりあえず、という風に眺める。

 見たこと、あるような……無いような。

 

 

 

 飛島行

 

 状況が理解できない。

「――」

 いや、理解できないというよりは、一般人である自分にこの状況は理解できるのだろうかという思いの方が強い。

 現在、片倉に手を引かれて夜の矢端川を逃走中――。

 それは前触れもなくやってきたように思われる。

 萩原との些末な日常を存分に味わった後、別ベクトルの現実に思い切り引き戻されて冬休み中の課題のことを思い出し、それに取りかかっていた。ほとんど解答片手にペンを動かすコピー作業で、何故意味も無いのにこのようなことをやらなければならないんだろうと自問しながらの、言ってみればある種の座禅的行為だった。言うまでもないが、苦痛だった。

 絶対に、とは言わないが、正月を含めたその辺りは生態活動以外の一切の行動を休止するのが毎年恒例で。つまりは慣例に従うためにさっさと課題を片付けて暇になりたかった。暇にはなったらなったらで辛いが、まぁ潰し方は工夫のしようがあるだろう。

 なんていう事を心の中で一人主張しながら、課題の何%か、とりあえず目処が付いたのは覚えている。その直後だった。

 破砕音。

 閃光。

 どちらが先だったかなんて事はすでに覚えてはいない、或いは同時だったのか。まぁそんなことはどうでもいい。

 取り敢えずその両方が部屋を満たして、一瞬身体が固まって、どうしようか考えて、どうしようか考えた結果とりあえず、その光と音の方向を向いたら、

 とんでもないものがいた。

 あれは、

 ……人、か? いや、多分違う。……動物か? 多分そうだ、多分、な。……脊椎動物か? 怪しいところだ。――待て。

 お前は初めて見た、……いや、もし新種の生物を見つけたとしたら、それが何なのか咄嗟に判断が付くと思うのか? 勝手に自問し続ける自分自身に問う。無理だろう、だったら、少し黙れ。――落ち着け。

 ともかく、ともかくそこには、……本来窓のあるべき所には窓ガラスが無く、代わりにその、それがいた。

 散乱したガラスと、血?

 赤かった? 光と、残響した音と、耳鳴りが。

 それを超過した無音と時計の刻む亀裂、全身から血の気が失せる感覚。

 夢だと思った。

 人の形を模した粘膜が口を大きく曲げて笑った。ような気がした。

「――」

 もうその時には何が何だか分からなかったから、そのとき片倉が登場したことに何の違和感も持たなかった。あぁ、片倉なら、或いは部長ならこんな状況下でも、というかどこにいてもおかしくはない。そう考えたくらいだろうか。

 とにかく、

 その時、片倉が現れたのには疑問を感じなかったし、そして見たこともないような銃器を取り出してゼロ距離射程に近いところで「それ」を射撃したのにも深い意味での違和感は覚えなかった。

 間違いなく市販されていないものだったし、軍で正規採用されている銃器でもなかった。なんでそんなことが分かるのか言われれば、なんでだろうと考えるが今はそんなことどうでもいい。

 「それ」との間に割って入った片倉は躊躇することもなく引き金を、引き金なんてあったかどうか分からないが、とりあえず撃った。

 音もしなかったし、特に大きな変化は見えなかった。でも、

 直後に、

 「それ」が倒れた。

「早く」

 そう言って片倉が手を伸ばしてきた。今になって考えれば、それが早く逃げようという意味だといのは誰にでも分かるだろう。ただその時は正直何が何だか分からなくて、今も何が何だか分からないけどそれを超えて何が何だか分からなかったから、間抜けた表情で何をと問うてしまった。

「ここは危ないから逃げないと」

 瞬間眉をひそめたような感じはしたが、それは見間違いかもしれない。が、あの状況下で何をと問う間抜けに向けた怪訝の意だったかもしれないという辺り、片倉自身にしか本当のところは分からない。

 言って直ちに、手を掴まれた。冷たい皮膚が手首を包んだ。

「状況、飛島行、確認。バリエーション28」

 それと同時だっただろうか。イスに座っていたから立っている片倉を見上げるような構図になっていたが、聞こえてきた声の方を見上げると、開いた方の手で耳を押さえて一人呟く片倉の姿があった。どうやらどこかに連絡を入れているのだろうか。どこに、というのはさっぱり見当が付かなかったが。

「あー、どこに?」

 というのが、片倉が現れてからの初声。逃げないと、という言葉に反応したつもりだったが反応は随分遅かった。が、自分で言うのもなんだが妥当なところだっただろう。この状況下だ。

「安全な場所に」

 やっぱりそれも今考えれば返答以下のただの単語だが、その時は相当に混乱していたらしく片倉が自信たっぷりに言ったのもあってそれで納得した。あぁ、安全なところか、それは良い。

「ごめんね」

 手首から伝わってくる体温が心地良い不謹慎だけどどうかこのままでいてくれないものだろうかと考えてしまうくらいに。惚けていたのは刹那だろうか片倉が瞳を覗いてくる反応を返さなかっただけで何をそんな大げさな。「大丈夫? 飛島君」「……あー、全然、大丈夫」「無理はダメだよ……? なにか変なことはされなかった?」「いや、……何もないと思う」いや大体この状況とあんたが変なことだろうがと目の覚めだした頭が呟いた。そうかと呟く片倉はやはりもう一度だけ心配そうに眉間に皺を寄せるとそれで終わってはやく危ないからここはと告げて逃げろと促した。言われるままにイスを立って手を引かれる方向についていこうとする時に思い出したそういえば家族は。片倉に問うと想定はしていたけどやっぱりという風に顔を俯せてごめんと謝られた。なにがと聞き返すしかなくてその言葉を口に出すと片倉がゆっくり口を開いて、「狙われてるのは飛島君で家族は大丈夫だから。私のせいで」。なにがなんだか分からなかったが片倉がなにがなんだかを分からせないようにしているのは分かった。自分を安心させようとしているのだけは分かった。諦め――。

「飛島君っ!」

 片倉の一声に思考が現在へ引き戻される。夜風が冷たい。つまり相対的に冷たかった片倉の手が温かくなっている。

「――え?」

 全力の速度で反応したつもりだったがそれでも片倉にとって遅かったらしい。外部からの衝撃が身を打った。

 なんだなんだなんだなんだなんだこれは。

 隙あらば夜を明るくしようとする電気の明かりが、さながら星座のように街の位置と自分の場所を示す手がかりとなる。ただ、今はそれが二転三転四転五転、一体何回転して、止まったのかどうなんだこれは。自分を置いて周囲が回転することは無いから、恐らくは自分が回転しているのだろう――。

 そこで片倉に抱きしめられるようにして地面を転がっていたことに気付く。

「大丈、夫?」

 そっちこそどうなんだと聞くべきだったのだろうが言葉が出なかった。耳朶に熱い吐息がかかる。

「なにが――」どうなっているのかさっぱり分からない。

「大丈、夫、だから」

 唇から一筋血が垂れている。

「少しだけ、ここに、待ってて」

 片倉が壊れかけた微笑みをこちらに向けると、絡ませるようにしていた腕を解いた。密着していた身体の間に冷たい空気が入る。

 何にも抵抗できずにただそこに取り残される。

 あまりにも存在の密度が濃すぎて、片倉が離れた時、この世でただ一人残されたような錯覚に陥った。

 背を向けた片倉が闇に溶けた。そこまでは見ていた。

 

 

 

 橋本志帆

 

 お迎えが来た、のだと思う。

『こんばんは。橋本志帆さん、ですね?』

 スーツだろうか、いや、それにしては見慣れないというか違和感があるというか。

「あ、の……、どなたですか?」

 インターフォン越しにでも声というのは届く。画面の向こうでスーツ姿が会釈をした。

『失礼しました、片倉雫の保護者です。雫からお話は聞いていますね?』

 聞こえた声にやっぱりだと肩を落とす。気が重いというわけではないが、私の想像が当たるときはろくな事が起こらない。

「あ、……はい。分かりました直ぐに行きます」

『はい』

 思い切り寝間着姿だったがそれも気にはしていられない。ただ少しだけ体面良く見せるために、出来るだけ身体を覆うような上着をかぶって玄関に向かう。

 静脈認証の安っぽいガラス板に手を当てて鍵を解除する。扉が開く。

「……どうも」

「こんばんは。お父様とお母様はいらっしゃいますか?」

「リビングに、」

「失礼しても?」ダメだと言っても入るつもりだろうが、一応の形式礼節として問うてくる。

「どうぞ」そんな言葉への返答はどんなものだって冷たくはなるだろう。

 一般的にモニターで見たよりも実際で見た方がより人間味がある。それはスーツ姿でも例外ではなかった。

 もう一度、会釈のような礼をして、失礼しますとぼやくように言ってスーツ姿が入ってくる。靴を脱いで床にあがる。

「こっちです」

 スーツ姿にスリッパを渡してそしてそれを履いたのを見届けると、案内するように先導する。廊下を照らすオレンジが柔らかい。

 床をこするような足音が後ろからついてくる。きっと姿勢のいい人なのだろう、足音のリズムに淀みがない。

「……ここです」

 言って指したのはリビングの扉。緊張するというか嫌なのは、さっきまで聞こえていたテレビと談笑の声が消えていること。得体の知れない訪問者に対する態度としては間違っていないが見慣れている姿からすると、怖い。

 スーツ姿のノック。

「失礼します」

 一言も言わせない内に扉を開けてリビングに入っていったのはスーツ姿の態度だろう。娘は人並みに扱うが、あんたらは文句を言う権利はない。どうしてそんなことが言えるのか私にはさっぱり分からなかったが。

「志帆さんは準備をお願いします」

 振り向いたスーツ姿が命令口調で言う。語気こそ丁寧だったが逆らわせないという気が満々だった。

 一応、不機嫌だからねと意思表示で眉間に皺を寄せて頷く。それで態度が変わるような相手ではないだろうが。

 踵を返して階段に向かう。それを確認したのかリビングの扉が閉まる、その音が聞こえた。

「ふぅ……」

 溜息吐いて、そして階段上りながら思案する。これから一体どうなるんだろう、とか。

 雫の話を思い返す。

ごめんねと謝りながら、それでも淡々と語っていた話を。

「ん、」部屋のドアを開ける。自分の部屋だけど汚いと感じる。いや自分の部屋だからこそ、だろうか。

 信じて欲しいけどそれはきっと無理だと思うから聞いて欲しい。本当は言ったらいけないんだけど、夕夏がもう既に命を狙われたからそんなことは関係ない。でもできれば他の人には言わないで欲しい。

 荷物はあまり多くない方がいいと言われた。最低限必要なものだけ。急にそう言われれば、衣服しか思いつかない。物置から引っ張り出してきた古臭くて月並みな大きさの鞄の口を開けて、クローゼットに仕舞ってある適当な服を選んで入れていく。

 実は私はクローン人間なの。その上ただの、じゃなくて遺伝子に改造を加えたクローン。倫理的にそれはどうかって世間からパッシングされるから私達の存在は秘匿されているけど、見えないだけで世界には結構いるの。二百人……くらいかな。

「はぁ」

 溜息の多さは心配事の巨大さと多さに比例する。溜息をするから幸せが減るんじゃなくて、既に幸せが減ることが確定気味だから溜息をしている。誰かがそう言ったけど、今の私はそれに全力で同意する。

 えっと私はね、……って言うのも変かな。私と素体が同じクローンは、確か三十いた。いた、っていうのはね。みんな死んじゃったから。私とあともう一つしか残ってないの。

 クローゼットの中を見回す。新しい服が欲しい、ふぅ。着ていない服は少し冷たい。心地良いその温度差を感じながら、さっきから溜息ばかりしかしていないことに気付いて苦笑する。

 あと一つ、って変な言い方だけど、多分正しい。私にとって彼女は人間じゃない。

「むっ」

 これならいいかと満足して、クローゼットを閉めた。が、なんでこうなったのかは分からないが、鞄の口が閉じなかった。今はもう見ること無いタイプの、ボストンバッグというやつで。私の趣味でそんな古い奴を使っているのだが今回はそれが仇になったらしい。

 私にとっては、ね。生物学的には人間らしいんだけど。同一人物がいる時点で受け付けないし、そもそも彼女は人の形をしていないの。……えっと、遺伝子改造を受けた、って言ったよね。私と彼女以外の二十八人は、身体の形を保てなくて死んじゃったの。彼女も身体の形は無いんだけど生きてる。だから、成功例は私だけ。

「んー、と。どうしよっかなぁ……」

 やっぱり気に入ってるのと、かさばらないものだけにしておこう。科学部のメンツって、緒方も入るだろうから。考えながら鞄の衣服を少しだけ取り出す。

 あ、……彼女はね、八歳くらいまでは普通だったの。急にね、身体が人型を保てなくなった。私はそれを辛いとは思うけど、ただその気持ちを理解しろと言われても出来ない。彼女はね、それを恨んでるの。何故私だけがこんな身体になって、あなたは綺麗なままでいられるのかってね。姿が変われば扱いも変わる。彼女が本当に怒ったのは――。

 ノック。

「失礼します。準備は整いましたか?」

 一息する間もないくらいの短時間のような気がしたが。ただ気がしただけで、服を選んでいたから時間が思ったよりも早く進んだ、という可能性もある。

 許可もいれずに女の子の部屋へ踏み込むのはどうかと思う、と小声で言ってみたが、そんな言葉は羽虫の声音と同列に扱われるだろう。

「では、時間に余裕がありませんので」

 だからさっさとしろ、とでも言いたいのだろうかこのスーツ姿は。分かりましたと顔も合わせずに呟いて。ギリギリ収まった鞄のファスナーを閉める。

「はい」

 鞄を両手に提げて立ってみせる。体積こそ大きいものの質量は見た目ほどではない。案外軽い。

 それを了解の合図だと受け取ったのか、スーツ姿が一つ頷いて部屋を出て行く。今現在の立ち姿は準備が出来たという意味で使った訳じゃないが、相手がそういう風に取ったのならまぁそれはそれで仕方がない。面倒な自己確認をしてから片足出して部屋を出る。

彼女が本当に怒ったのは――。

 一歩を踏み出しながら思案する。そう、戻ってこられるように。どうかまた日常に戻れますように。

 「彼女が本当に怒ったのはね、私だけが外に出られるようになったことなの」

 

 

 

 緒方瞬

 

 暗い天蓋に燦然と星々が輝いている。夜空に疎い自分にはオリオン座くらいしか分からないが、それでも先人の偉大さを感じるには十分だと思う。よくも点と点だけで物語を連想できたものだ。もしかすると相当に妄想癖があったんじゃないのだろうか。

 靴を擦らせるように歩きながら息を吐く。白い生命がたちまちに消え失せていく。

 この歩き方が靴にも足にも悪いというのは十分承知している。にも関わらず、だったら何故そのような歩き方をしているのだと言うことになるが、それはもう癖だとしか言いようがない。ふと気が付くとこの歩き方になっている。

 アスファルトを擦った靴先がその勢いで小石を蹴った。

 どこか人知れぬ階段に落ちていったらしく、かつりかつりとテンポ良く音がフェードアウトしていく。一旦立ち止まって、

 無音。

 溜息。

 再び歩き出して橋本のことを考える。おまけのようについて来る笠野のことも。

 思い返すとあれはあれで自分勝手な意見だよなと苦笑する。他人を気遣うために他人のことを考えるな、笠野らしいといえばらしいが。やっぱりそんな考えをするのは自分には無理だ。言われた後に考えて……考えている時点で既に笠野の言っていることが出来ていないという事に気付いたところで思考は止まった。笠野は笠野、俺は俺――馬鹿、せっかく話してやったのに。言われるだろうがそう考えても間違いではないはずだ。

「ふぅーっと」

 一筋風が通って、それに続くように寒さが身体を通り抜ける。舞台の上にいるような大仰な仕草で身震い。あぁ寒い。

 そう、だから。

 そうやって繋げるのは少し卑怯だろうか。でも、だから、

 志帆とどうやって相対していくかは、自分で決める。

 淡い決意の輪郭をスケッチするようにしながら、志帆に言われた言葉を思い出して冬空に描く。

「――私はね、やっぱり瞬が好き」何、急に。どうしたの?

「ううん、何も。ただ言っておきたかっただけ」……。

「すごく、すごく自分勝手なのは分かってる。でもね、やっぱり」――うん。

「あっ……ん。うん、ありがと」ごめん気の利いたこと言えなくて。

「あはっ、なんか、今すっごく恥ずかしい」

「ごめんね瞬、ありがと。だけどこれからは――」

 言葉がうまく出てこない内に、腕の中の志帆が耳朶に呟いた。その日は寒かったけどその時だけ妙に熱くて。熱っぽかった。二人とも。

 これからは、真っ正面から向き合いたいから。

 身体はくっついたまま、顔だけ少し離れて瞳に自分の顔が写る距離。石けんの香りが優しく志帆に味方する。

 言葉の瞬間。二、三秒だっただろうか。みるみる間に志帆の頬に花が咲いていった。それに自分でも気付いたらしく小さく叫んで思い切り胸に頭突きしてきた。

「寒いな……」

 夜空に輝くシリウスを見つけて呟く。乾いた空気が肺に心地良い。

 無闇やたらに可愛かったその時の志帆を思い出す。もうバカバカバカ、なんで私こんな事言っちゃったんだろ。

 嬉しかった。

 仕草が可愛かったのは繰り返したからもう言うまでもないし、好きだって再び告白されたのも。そして、

 俺が覚悟できていなかった、真正面から向き合うって事、言ってくれた。

「んー……」

 両手を上に投げて背筋を伸ばす。骨が音を立てて姿勢を正す。傾いた月が目に入る。

 よし、独り力入れるように呟いて歩みを意識する。

 冷たい空気を解かすように白く息を吐く。

 妙に楽しくなってきた。夜中に歩き回っていると気分がハイになる。雑然と記憶に留められていただけのメモを整理するには丁度いい。それの成果も味わった。

 これからどうなるんだろう。柄にもなくそんなことを考える。

楽しいことになってくれるだろうか。

 

 

 

 笠野夕夏

 

「あー、暇」

 自分の部屋にあるより柔らかいベッドに倒れ込んで一つ呟く。

 暇だ。

 壁に見える周囲は、実は調光ガラスらしい。というのは看護師さんから聞いた話で実際の所はどうか知らない。だって透過設定にしてくれたことがないのだから。壁色を変えるくらいはいいんじゃないかと掛け合ってみたが、規則厳しいらしくてだめだとやんわり断られた。まぁ確かに壁色が思い切り原色だったら頭が痛くなるけど。それにしても、

 なーんにもない。

 病院ってどこもかしこもこういう所なんだろうか。物心ついたときから一度も病院に来たことのない私には判断がつかない。でもこういう場所ならみんなが嫌うのも無理ないよなと思う。全面壁に覆われて窓がないとか、むしろこれは牢獄に近いと思う。心身を気遣う為にある病院の筈なのに、精神衛生上良くないとはこれ如何に。

 倒れ込んだベッドの柔らかさに多少の眠気を感じながら、シーツに埋まっている筈の携帯を手探りで捜索する。ん、……あった。

 デザイン的な幾何学模様をタッチして立体映像を展開する。可愛げのある立方体を爪先で弾いてメールボックスを、

 展開。どぅいん。

「んー、ふぁ……」

 まさか私のメールボックスには見えない文字で催眠術に掛かるように設定してあるんじゃないだろうな。欠伸に気付いて思考する。

 処理速度重くなるの覚悟で立体映像がぐるぐる回っている。これを部長に見せたら憤慨して言うだろう。ハイスペックな割にそれを無駄遣いするのは何事か――環境問題取り上げて謳い騒いでるにしては言動不一致ではないか。

 そんな部長は、一昔前に流行った紙の如き薄さの形状不定型の情報端末を使ってた筈だ。立体映像も出ないし高速思考も出来ないしで、私から見ればなんでそんなものを使ってるのか分からないが本人はアレが好きらしい。……分からん。

 くるくる回っていた立方体が収束して新着メールを表示する。成程、こんなに時間が掛かったのはメールの容量がでかかったからだ。

 えーっと、確認。新着順に、志帆、とも、とも、飛島、志帆、志帆、志帆、部長、とも、志帆、志帆――。

 待った、私はこんなにメールに気付かなかったのか。ちょこっと考えて直後に申し訳なさに落ち込んでくる。

「はぁ……」

 新しい方からメールを開いて――、

「や、こんばんは」

「へやっ?」

 寸前にドアが開いた。間抜けた声を出してしまったことに恥ずかしさを感じながら声の方を向く。

「こ、こんばんは」

「……んー、暇だからさぁ。夕夏も暇でしょ?」

 髪の伸びた大人びた、白衣姿が笑んでくる。目があって、つい頬の緩んだ微笑みを返してしまった。

「よっ……と」

 一人分のベッドに乗ってくる。金属を擦らせるような音は、きっとベッドのスプリングだろう。

 なにしてるの? 言いながらエロい体勢で寄りかかってくる。慌てて携帯をデスクトップにして尚かつ電源を切る。

「ん?」

 しまった。そのまま勢いで携帯を身体の後ろに隠すようにしてしまった。それを見て何を勘違いしたのだろうか、白衣が口の端を曲げて迫ってくる。

「あ、あ、だめですって! 先生!」「ほら、恥ずかしくないからちょっと見せてみ」「なんでもありませんから!」「なんでもないなら見せてくれたっていいじゃない」「だ、だめです! 切ない乙女心が詰まってます!」「けち、それくらい見られてもいいじゃない」

 半ば押し倒されるようにして決着がつく。ふふ、身体の下に押しつぶすように隠した携帯はもう取れまい。

 と、いうか、

「あのー」ちょっと落ち着かせて欲しい。

「先生? この体勢危ない気がするんで……聞いてます?」目の前の顔が遠くを見てる。こ、これはどうなんだ。

 だめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだ、ちょっと落ち着け自分よ。なんで若干興奮してるんだ私は男子中学生かちょっと落ち着いて考えろ、はい深呼吸、吸ってー、吐いてー。

「ふ……せん、せ? あのー、」

「ね、夕夏。ちょっと重大な……そう、とっても重大な話が……あるの。……いい?」

 この体勢で? その言葉を口にしたかったが、目前の表情がいままでのどんなときよりも真剣で影を落としていたから。首肯して目を合わせる。白衣が蛍光灯と重なって後光のように見える。

「あのね……、えっと……言いにくいんだけど」

 困った表情に仕立て上がるために柳眉が落ち込んで、それから白衣が身じろぎして座る体勢になる。私の足の上に。

「雫の、が、……あの、……じゃなくて、その」

 文章にならない単語の連続、その中に雫の名前が出てきたことに驚きを覚える。この人と雫にどんな接点があるのだろうか。それともこの病院に、だろうか。

「……ゴメン、こういうの苦手でね」

 私の目線に今更気付いたらしく、取り繕うように苦笑する。ごめん下手な説明だけど聞いてて。

「あ、の、……雫のね、家族、……、そう、家族」

 雫の家族? どんな人達なんだろう。

「その、……いろんな事情があって……、雫、には、……もう妹、……しか、いないんだけど」

 うん。

「あの……、もし、もしも、ね。……本人達の、意思とは、別に……、その、……片方、が、片方、だけが」

 うん。

「えっと、……そう、そのね、……外に、出られなくなったら、」

 うん。

「夕夏なら、どう、思う?」

 沈黙。

「あの、その、私あんまり頭良くないから……先生の話は良く分かんなかったですけど。えっと、その」

 もし私が雫の妹で、それで二度と外に出られなくなったら、どう思うか。っていう事なら、

「まだ三日目だけど、この部屋にいるからかな……やっぱり外は、恋しいです」

 言って、うん、やっぱりそう思いますと続ける。襲われているようだと考えながら足の上に乗っかっている白衣の表情を覗くように見る。悲しい……表情、なのかな。

「あの、先生?」

「ん、ありがと……夕夏」

 言って微笑まれた事に動悸が速くなる。

 窓も時計もないけど、多分、今は夜だ。

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