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「公正に定められた不等号と流動する動力源」

 

 

 

 笠野夕夏

 

「あんたはハイジか」

 急にナースコールしてびびって来てみればなに家に帰りたいとかうなされてるんだお前は山に帰りたいのか見た目以上に高血圧なのか。

 ごもっともで。返す言葉もない。

 朦朧としていた頭が記憶しているのは、うやむやの内にナースコールをしたこと。なんで意識が朦朧としていたのかは今となっては分からないが、それでも身体は助けが必要だと思ったらしい。まぁ、もしナースコールしなかったらどうなってたかは分からないのでそれはそれでよしとしよう。よくやった、私の身体。

 が、私はそう思っているが周りから見れば全然違うらしい。先生曰く「あんたはハイジか」とのことだが、知らない私が何ですかそれと問うと白衣の上から腕を組んだ。

「アルプス山脈中腹に住んでる山猿でね、半袖にスカートでよく羊を追い回してる」

 ごめん先生、私はそれ知らないけど絶対違うような気がする。私がベッドの上で神妙な面持ちをしていると、何を思ったのか先生がアニメだから今度見せてやると話してくれた。というか山の上で走り回る山猿がどこで私と繋がりますか、若干目の覚め始めた思考でそう言うと、鉄パイプのイスをベッドの下から取り出して先生がそれに座った。

「実はハイジ、物語中盤で大人達の絡み合う思惑によって山から引きずり下ろされてね、麓の町で暮らすんだ」

 そうなんですか、軽くネタバレしてるような気がしますが。

「世に名を轟かせる名作だからネタバレ如きで味が落ちるなんて事はないの。気にしない気にしない。……で、しばらく町で過ごしてるとハイジに異変が起こるの。夜な夜な屋敷を彷徨って、呻きながら山に戻ろうとする」

 えーっといまいちジャンルが分からないような気がしますから聞きますけど、ハイジってサイコホラーですか?

「えっと、違うよ。ジャンルは……分かんないけど、児童文学? まぁそれで、高熱を伴った強烈なホームシックにかかって。後は分かるよね?」

 って、

「私のもハイジと同じでホームシックですか!」

「夕夏もう忘れたの? さっき家に帰りたいって言ってた馬鹿はどこ?」

「いや確かに言ったような気がしないでもないですけど! でも、猿ですか私は!」

 乾いた部屋に似合わない笑い声を響かせながら先生がお腹を押さえている。なんか無性に失礼だなこの人。昨日とは別人なんじゃないか。

「あはははははっ、ちょ、夕夏、あはっ、ふふふふふっ、くくくく」

 肩を揺らして笑う様は最早止めようがない。というかこの人止まるんだろうか。笑い過ぎのあまり窒息とかありえるんじゃないかこれ。

「……、まったく」

 溜息吐くように呟いてベッドに倒れ込む。私の希望で取り替えられたシーツからは何も香りがしなかった。それが不安と言えば不安だが、今では前例がある故にむしろ石けんの香りがあったほうが怖い。

 倒れ込んだ瞬間に散った髪先を放っておいて先生の方を見る。いつまで笑ってるつもりだろうかこの人は。

 言葉の代替品ではなく、本当の溜息吐いて。

 ショックでしょうと聞かれればそりゃショックがない訳じゃない。無闇に空元気振りまいてたつもりはないし自然体で過ごしてたのにホームシック罹るって。だってこんな変な部屋に閉じこめられればそれはもう誰だってなるだろうと言い訳じみた言葉が自然に出てこようとする。確かにそうかもしれないけどそれは言い訳にしか過ぎない。なんというか、この状態で言い訳をするのは負けを認めたみたいで、嫌。

 どっと疲れが出た。養生のために入院してるのにこれじゃ全然意味がない。

「ふふふふっ、くく、……は、は、ゴメン、夕夏、っく、ふふ」

 それは謝ってるんですかそれとも馬鹿にしてるんですか。

 これは望み薄だなと考えて携帯を開く。ん、新着メール一件。ともからだ。

「ん、……ん?」

 そこに展開された文字列はおおよそ日本語ではなかった、英語……?

 変なメール来て。きっと雫なら翻訳できると思いながら頼って転送したけど返事なくてさ、そっちどうせ暇でしょ? なんか考えてみてよ。以下読解不能な文字列。

「なんだこれ……?」

 読めない、読めないしなんだこの容量は。嫌がらせか、嫌がらせなのか。英語が嫌いな私への嫌がらせか。

 一体何だと思いますかというか先生英語出来ます?

 あまりの意味の分からなさに、話し掛けた相手が笑いこけていることも忘れて問うた。

「ふふっ、え、えっ? な、なにぃ?」

 隙間から空気の抜けるような声で返事した先生は、しかし、

「――なにこれ」

 携帯が展開する立体映像とそこに浮かぶ文字列を見た瞬間絶句した。

「さぁ、なんかよくわかんないんですけど――」

「ちょっと貸して。すぐ戻るから」

 え、あ、別にいいですけど……あ、他のメールとか見ないで下さいよ!

 声は届いただろうかと思案する程に、間の抜けない動作で部屋を出て行った。

 一体何だったんだろうかアレは、っていうかあれ一瞬で読み解けたってなかなかすごいよなぁ。

「はぁ、」

 携帯取られたけど……、あの人がいる内は飽きないから、ま、いっか。

 やけに真剣な表情だったし、あんな顔で携帯から情報を抜く人はいないだろう。すぐに戻るとも言っていたし。

 呑気だなと自分で考えて、しかし一体何に対して呑気なんだという問いは仕舞われた。

 それこそが真に呑気であるということだろうから。

 一時間前とは別人のように落ち着いた身体で、深呼吸を一つ。

 

 

 

 萩原とも

 

 あなたは自動人形を知っていますか。

 夕夏にメールを送った直後に電話が掛かってきて、そういえば家族が居ないんだと思案しながら取るといきなりそう問われた。片言で聞かれたと言うことは日本人ではないだろう。――、私は外国人の友達なんていた覚えがないが。

 部長や夕夏や志帆くらいならインターネットで知り合った顔も知らない異邦の友人が居てもおかしくはないだろう。それくらいは今時珍しくもないし。でも、姿も分からなければ言葉も通じない人間と意思疎通をするのは怖くないのだろうか。インターネットで知り合おうが街角で偶然出会おうが同じ事だと誰かに言われたような気がするが、出会う事としては同じでも気の持ち方が違うだろう。大体、――。

 あなたは自動人形を知っていますか。

 思考を横切られてびくりと肩が揺れた。それと同時に無視していたことに気付いて、

「すいません。……どちら様ですか?」

 あなたは自動人形を知っていますか。

 放った言葉に間髪入れずに返された。答えにはなっていなかったが。一瞬考えて、

 あぁこれはどうせ誰かのいたずら電話で同じ言葉を延々言い続けて怖がらせようという趣旨だろう、この年齢になって引っかかってたまるか。

 手に持った子機の通話ボタンを押す。切断。

 と、

 電話のベルが鳴り出した。

「あ?」

 充電器に置こうとする前に電話が掛かってくるなんて、丁度良いかもしくは異常なタイミングだ。

 一息吸って、

「もしもし?」

 あなたは自動人形を知っていますか。

 切断。

 電話のベルが鳴る。

「もしもし!」

 あなたは自動人形を知っていますか。

 切断っ!

 電話のベルが――、

「いい加減にしろ!」

 あなたは自動人形を知っていますか。

「いい加減にふざけるのを止めろ! あんた誰!」

 あなたは自動人形を知っていますか。

 怒鳴り散らすような勢いで放った問いも無視されて。受話器からは無機質な片言が吐き出され続ける。

 落ち着こう。さっきこんなものに引っかかるかものかと言ったばかりじゃないか、それを自分自身で撤回してどうするんだ。あなたは自動人形を知っていますか。取り敢えず深呼吸をして落ち着こう。

 片手で電話の受話器を持ったまま腕を下ろして全力で握りしめて、呼吸。

 そう、少し落ち着いた。もう一度耳に当てる。

 あなたは自動人形を知っていますか。

 切断する。

 叩きつける勢いで充電器に子機を置いて、

 電話のベルが鳴る。

「っあーもう!」

 出てやるものか出てやるものか絶対に出てやるか!

 効果音を吐き出し続けるのに余念がない電話機を無性に壊したくなる衝動に襲われる。でも悪いのは電話機自体じゃないような気がする、まだ少し冷静な部分がそう呟いてああそれもそうだなと何とか衝動を落ち着けて。

 ただし部分発散、リビングのテーブルを拳で殴る、

「……っ!」

 叩くように殴った左手が痛くなって。それにも腹立たしくなってもうどうしようもない。

 電話のベルが鳴っている。

 怒りの余りに笑いがこぼれる。そういう癖があるのは私だけじゃないだろう、思って、

 誰も周りにいないこと承知で、しかし周りに聞こえるように溜息を吐く。

 電話のベルが鳴っている。

 無視して部屋に籠もろうと踵を返して、

 言葉を失った。

「――あ、……え?」

「どうも、初めまして……だよね? 萩原、ともさん」

 身体に白布一枚巻いた少女が、

「片倉滴です。……、初めまして」

 優しく微笑んで会釈をする。

 というか何で私もつられて頭下げてるんだもっと最初に言うべきことがあるだろう例えばあなたは誰だとか一体どうやってこの部屋に入ったんだとか。い、や、……かたくらしずく? 雫って言ったよなこの子。あの雫……、と同姓同名という奴だろうかそれにしてはよく似てるような気がするが。

「ごめんね、玄関から入ろうとしたんだけど、今それやるときっと殺されると思うから。……私は死なないけど」

 それは一体何の言葉なのか玄関から入れなかった事への謝罪の言葉なのだろうか。この子の言動は理解は出来なかったが、この子がおかしいということは理解できた。

「え、あ、……あの、誰……?」

 今更誰だと問う質問も間が抜けているような気がしたが仕方がない。彼女から見れば私は間抜けだろう。ただ、自分の思考を俯瞰する考えだけがやけに冴えていた。

「あ、ごめん。急に出てきて変なこと口走って。私は片倉雫の妹、片倉滴です。さんずいに適当の適の、右側」

 あぁ、しずくはしずくでも水滴の方か。というかこの子は雫の妹か、どうりで似ているわけだ。

「ごめんなさい、初対面を楽しみたいとは思うんだけど、……いま少し急いでて」

 一息。

「ともさんは、……知ってるかな?」

 ――自動人形を、知ってるかな?

 電話の向こうで無機質な片言が喋ってたよりもずっと人間的で表情的だったけど、でもやっぱりそれは、

 あなたは自動人形を知っていますか。

 機械のような、作られた声音だった。

 あなたは自動人形を知っていますか。

 あなたは自動人形を知っていますか。

 あなたは自動人形を知っていますか。

 

 

 

 緒方瞬

 

 まぁそのくらいのハンデはくれてやろうと思う。

『ごめんね、瞬』

 受話器越しに聞こえてきた消沈する声に、気にするなと慰める。

「いや三日くらいはハンデにもならないくらいのハンデだろ。それくらい大丈夫だって」

 志帆からの提案があったのは、つい先刻。

 えっとね急なんだけどちょっと科学部で小旅行行かないかって雫から連絡が来て。瞬も行かない? 陸部で大会近いけどそれ承知で。行こうよ折角なんだからこういう機会は滅多にないし科学部って。うん、私、は……うん。行き帰り含めて三日だからお願い一緒に行こうよ――以下割愛。

 強化練習期間である二週間中の三日って考えようによっては痛いことは痛いんだけど……結局はこっちが折れることになった。まぁ、フィールド競技は走る種目と違って大会後半だから練習の換えも利くかと思っての判断だが、むしろ練習云々よりは先輩に殴られそうな辺りが心配だ。

「で、三日間でどこ行くの?」

『ん、えっとね……内緒、かな』

 こもった声が受話器の向こうから聞こえてくる。

「内緒って……まぁ」

『色々あって驚かせたくて。……でもみんなが学校以外で揃う事ってあんまりないからそれだけでも驚きかも』

 違和感、とでも言うのか。

「そういえばそうだな……冬休み入ってからは志帆以外と会ってないし」

 いつも傍にいるはずなのに、

『ね、…みんなと騒ぐだけでも楽しいかもよ』

 今はなんか膜一枚隔てた所に感じるというか、

「そうだな。……あ、で、俺どうすればいい?」

 事実の一回り外から身体を抱かれて耳朶に囁かれているような感じがする。

 傷つけないように、丁寧に。

『んーとね、……驚くなかれ、雫がお迎えの人を用意してくれる』

 首筋を温められると気分がよくなって眠くなる。だが、それに気持ち悪さを感じる時もある。

 自分勝手な理屈だけど、

「凄いな、それ」

 妙な下心がある時、とか。なにか良からぬ事を企てている時とか。

 自分はそういうのを感じるのに疎い人間ではあるけれど、

『それでね、明日朝九時……、でいい?』

「ん、大丈夫」

 相手が志帆なら、分かる。

 いつもと違うって、気付く。

『じゃ、その時間にお迎えの人が行くから……三日分の服とか、』

 砂を噛むようなノイズが一つ混ざって志帆の声。

「んー、あと何か特別に持って行った方が良いものとかは?」

 科学部の合宿などという色気のない旅行に少しでも華を添えるために、何か持って行ってやった方が良いものはないだろうか。考えながら天井に目を移す。

『忘れたら大変なものは、……特にないと思うけど。多分。向こうの設備も充実してるみたいだし』

 そうか、それならいいや。呟きながら欠伸をする。眠くもないのに、心で呟きながら。

「ん、分かった。じゃあまた準備終わったら電話する」

『え、あ、はい。それじゃ、また後で』

 子機に付いている通話終了の赤色ボタンを押して、

 ノイズが途切れたのを確認する。

 充電器に灰色の子機を掛けて、一段落という風に伸びをして。

 首を曲げて骨音鳴らした。

 どうしようかなと思案する意識が一瞬頭に浮かんできたが、どうもしなくてもなんとかなるだろうと思ってしまったので直ぐにそれは沈んだ。

 時計を見て思う。

 あれ、ウチの時計ってあんなのだっけ?

 

 

 

 片倉雫

 

 自分が死ねば全ては解決するだろうか。

答えるまでもない。

 自分が死ねば全ては解決するだろう。

「――」

 既に癖のように染みついた溜息を肩で吐いて腕の傷を見る。赤く抉れていて、痛そう。自分は自分の身体に対してこうも無頓着だったのだろうかと思える程に、平らで棒読み的な感情が浮いてくる。

 自分が死ねば全ては解決するだろう。ただ、それは不可能なことであるが。

 私は死ねない。

 私は死ぬことが出来ない。私は死ぬことが許されていない。私は私自身の意思で死ぬことが出来ない、許されていない。

 そう言い切ることが出来るのは、私という存在の定義が一般的な人間とは一線を画しているからだ。

 私は、私という存在は、一個の生命体ではない。近いものに言い換えるのならば、――群体。

 私を含めた私達は、彼女を除いて二十九人だった。言うまでもなく同一人物であったが、意識そのものが繋がっていたわけではないので意思伝達は会話やジェスチャーで行わなければならなかった。もっと相手と分かり合えるはずなのに、齟齬の発生しやすいその手段を使わなければならなかったことについてはもどかしさを感じたこともある。

 私は私であった。そして目の前にいる私以外の私達も私であった。それなのに目の前にいる私は私でなかった。

 当然だ、見た目でも分かる。私と私達は、それぞれの身体を持っていたじゃないか。

「――でも、」

 何故私は呟いたのだろうか。微睡んだ思考が紐解かれるように溶けていく。腕が痛い。

 でも、

 それぞれがそれぞれの身体を持っているということは、幼い私にとってほんの些細なことだった。だっていつも同じものを食べていたし同じ服を着ていたし同じおもちゃを与えられたし同じ薬を飲んで同じ注射を腕に受けていた。だったら同じ身体を配られたのは当然のことじゃないか。

 私は私達と全て同じものを所有しているのに、何故意識だけが同じじゃないんだろう?

 言葉足らずに白衣に訴えたことがある。

 あのね、わたしはだれ? わたしはみんな? みんなはわたし? ちがうの? わたしはみんなとちがうの? わたしはだれ?

 その質問への回答は無かったが、白衣の驚きの表情は見て取れた。その原因は、――後で知ったのだが、同時期に全員が同じ質問を同じ白衣にしたからだそうだ。驚かずにはいられないだろう。

 そしてこれも随分成長してから知ったことだが、そのイベントによって白衣は、「子供達は理解できていないようだが、潜在意識は確かに繋がっている」と研究結果を報告したらしい。

「――」

 音のない二度目の溜息、腕が痛みを弱電流としてリズミカルに脳へと送る。痛い。

 そう、それは正しかった。

 その研究結果は、正しかった。

 白衣がどのような意味で私達の挙動を汲み取ったのかは知らないが、とにかく結果的にその研究結果は正しいものとなった。

 その兆候は私達が死に始めてから現れた。

 初めは、気付かない内に誰かが連れて行かれた。私達はずっと同じ部屋で、そこを出ることなく過ごしていたから、異変には直ぐに気が付いた。一人いなくなったことにただならぬ恐怖を覚えて私達は白衣に警告した。

「いなくなっちゃった」

 二人目も、いなくなっちゃった。

 三人目も、いなくなっちゃった。

 四人目も、いなくなっちゃった。

 五人目がいなくなったくらいから、私達は部屋の真ん中で集まって動かなくなった。今までに感じたことのない恐怖で精神は圧迫されていた。

 絵本で読んだおばけが連れて行っちゃうんだと本気で思っていた。ちゃんといいこにしてるのに。

 六人目は、とけた。

 六人目の子は、痒いと言っていた。「せなかかゆいからかいて」たまにそういうことがあったから私達は交代で背中を掻いてあげることにした。背中に赤い爪の痕が残っていたけど、痒いって言っていたから仕方ない。痛そうだけど、痒いのはもっと辛いから。

 泣き出したのは、その子が痒いって言い始めてから二十時間後くらいだったと思う。「かゆいかゆいかゆい」

 自傷行為、それも異常なレベルの。

 その子は今までにない痒みを訴えて。動揺した私達は、その子の動きを抑えて一生懸命に掻いてやることにした。背中を腕を足を腰を手を顔を頭を。耳無し芳一の話を知っていたから、隙がないように。幽霊が来ても、どこも取られないように。

 肌がとても柔らかかったのを覚えている。あまりに柔らかくて、爪を立てるだけで皮膚が裂けるくらいだった。

 躊躇はしたが、止めることは出来なかった。あまりにもその子が可哀想だったから。

 掻いて掻いて掻いて、一生懸命に掻いた。

 爪を立てるごとに、皮膚がはがされて肉がめくられて骨が削られて。でも止められなかったのは、掻いてやるとその子がすごく気持ち良さそうに目を細めたから。

「ありがとう」そう言ったような気がする。気がしただけかもしれない、なにしろ気付いたときには、

 その子は、爪の間に垢のように残る肉片と、床に散らばった体液に姿を変えていたから。

 虚無感が私達全員に満ちていくのが分かった。そして誰かが、私かもしれない誰かが言った。

いなくなっちゃった。

「――」

 ただ痛みだけを生む腕を睨むように見遣る。脈打って肉が蠢く。痛い。

 六人目を契機として私達は元の生活に戻った。それからは六人目と同じように痒みを訴えて溶ける子や、吐血して即死する子や、嬌声を上げながらおもちゃで自分の頭を殴り続けて死ぬ子がたまに出たが、さほど気にならなかった。

 ただ、圧迫感は無くならなかった。他の子に、――彼女に聞いても同じだと言っていた。

 私達が死ねば死ぬほど、圧迫感は等比級数的に勢いを増していった。

 多分、残り二人になったときだと思う、私と彼女と。その時突然に納得した。この圧迫感は恐怖などではなく――、

 死んだ私達が、生きている私の中に居座っているんだ。

 だから、一人の中に何人もいるから窮屈なんだ。居座っている割にはなにも話し掛けたりちょっかいを掛けてこないのが寂しいけど。

 なんでそうなったのかは分からない。それが事実かどうかも分からない。ただ直感する。私の中に私達がいる――。

 それがどういうことなのか。

 それが分かったのは、私の中の私に気付いた時のもうしばらく後だった。

「――」

 溜息が時間を繋ぐ。

 

 

 

 神ノ木義人

 

 三日間、と言っていた。

「そう、三日間だ」

 確認するように呟いて腕を組む。

 自分達はこれから三日間、世間から隔離される。普通に過ごしていては危険だからとの事だが僥倖だ。いや、命が掛かっている辺り単純に手放しで喜ぶことは出来ないが。

 体重ずらしてリビングのソファーに深く座り込む。下を向くように首が曲がるが仕方がないと割り切って。思考中だ。

 そう、――紛れ幸いではあるものの手放しでは喜べない。日常から離脱したいと平時は取り憑かれたように言っていたが、いざその時が来ると、どれもが時間制限付きなので優先順位をどうすればいいのかと思う。

 上手く予定を縫い合わせて総取りする、なんてことはおそらく不可能だろう。なにせ相手は非日常だ、日常相手に苦戦している自分にそんなことは天地が逆さになっても出来まい。……我ながら大人しい考えだなと苦笑する。

 ならば大別して二つ、これらを考えよう。

 隔離空間の件か、

 クローンの件か、

 どちらを優先すべきだろう。

 どちらにしても興味深いが、同じ土俵に並んでいない故に二つを天秤に掛けても無駄だろう。

「ふ、」

 いかん少し苦しくなってきたぞこの体勢は。思いながら重心元に戻して、空気が通るようになった喉から酸素を取り込む。

 どちらも、どちらも三日間だ。

 片倉が言うには、片倉滴との戦いは三日間で終わるらしい。三日を過ぎるとどうなるかとの問いには、プレイヤーが出てきてゲームのスイッチを切りますと言葉が返ってきた。理由や方法は分からないが強制終了されるらしい。

 そしてその際には二人とも死ぬだろう、とも。

「ふむ、」

 どうやら望みが叶うことが気になりすぎて思考が鈍化しているらしい。錆び付いたものを元に戻すには還元を行わなければならない。即ち酸素を取り除く、熱を。考えながら立ち上がり、キッチンに向かいガスコンロに手を当てて火を付ける。

「うおあっ!」

 やりすぎた。

勢いよくガスコンロの火を消して水に手のひらをつける。

 これで頭も冷えるだろうか。なにか違うような気がしないでもないが、目的は果たせている気がしたので無視する。

 ――、三日間だ。

 凡人である自分が活躍できるのは、その範囲だ。

 隔離空間から片倉に接触するだけでも出来ればいいのだが、それすらも許されない程度に隔離されるのだろう。

「相手も私と同じように――、いえ、それ以上に常人離れしていますから」

 片倉に会えるということは片倉滴にも接触の隙を与えるということになる。隙あらば自分達を殺そうとしてくる相手にそれはできないだろう。

 隔離空間内でクローンの事について情報収集することは可能なのだろうか?

 いや、――可能だったとしてもそれはおもしろくもなんともない。事実関係を片倉や……或いは片倉滴に確認しなければならないから。事実なのかただの創作話なのかが分からないだろう。

「さて」

 痛みが引いてきたのを確認して、手について水を拭く。っと、タオルが触れるだけで痛いぞこれは。

 隔離空間内に入らずクローンの事を知りたい、というのが本意ではあるが、

 今回ばかりはそれも不可能な気がする。例え集合場所に行かなくても、特隊レベルの装備を持つ連中に追いかけ回されるだろうし、それから逃げながら何かをする自身はない。その上、ゲームの相手はそれだけじゃない。本気でこちらを殺そうとする変態を相手に、凡人は一体何が出来るだろうか? 何も出来ないだろう。

 何とかして隔離空間内から外部へ脱出できないものだろうか。

「ん?」

 何か思いついて腕に巻いた携帯を立ち上げて。メールボックスを開く。正直自分でも何やってるのか分からなかったが、思いついた以上それに意味はあるだろう。それが何なのかは別として。考えながら笠野の名で検索をして届いたメール一覧を起こす。

 これか。

 三通程流し読みしながら自分が何を探していたのかに気付いた。

 それは笠野から転送された、差出人が片倉のメール。件名は、地下道での事件について。女子高生が友人に宛てるには少々疎々しい文章だ。

 開く。

 展開されたそれは腕に巻いた状態では読みにくい量の文章。それを確認して携帯を腕から外す。折りたたんだ状態だったそれを広げて原稿用紙の大きさにして。文字列もそれに従って並び変わる。処理速度は遅いが、外見の割には十分だ。

 と、

 読み始めるかと一息吐いたその瞬間にメールが来た。強制的に画面が切り替わる。無音設定にしてるので着信音はなかったが。誰だと思いつつ、

「差出人、は」

 萩原か、珍しい。こんな時間にメールが来ること自体滅多にないし相手が萩原ともなれば、確率は分母が階乗されるくらいに少なくなる。思いつつ無題の件名を見て。本文を開く。

 予想外のそれに口が緩んだ。

 ――自動人形は誰?

 以上も以下も、余白すらないただそれだけの七文字。

「まったく、」

 こんな時にまたその問題を見つけてくるか、それはまだ放って置いてもいい非日常なのに。

 原稿用紙上に浮かぶその文字を見て、目を細める。

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