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「坩堝の中の閑暇と浪費される三分の二」 片倉雫 私は一人じゃなかった。 それが良い意味なのか悪い意味なのかは分からない。 感覚に直すとすればそれは、私だけが身体を持っていて、私以外の私達に私の一挙手一投足をじろじろと観察されているような感じ。私からはアプローチできないが、存在は――居ることは、分かる。 視線だけを感じる。 それは私が創り出した虚像なのかもしれない、でも。確かにいる。 「……雫、」 聞き慣れた女性の声が耳に届く。悲哀が含まれた声音に顔が俯く。 私が私の定義を知ったのは、私がドイツに輸送される直前のことだった。あのね雫これからはあなたも大人として扱われるからあなた自身の事を知っていて欲しいの出生の秘密を。 その話を聞いた時は、想像していたよりも特に何の感慨も沸かなかった。ただお父さんとお母さんがいないのは寂しいと感じたような気がする。でもそれよりも、 そんな事よりも、人の手によって作られたという事よりも。私という存在が複製可能だという事に不快感を覚えた。 そして、 私が私の定義を体感したのは、私がドイツに輸送された直後のことだった。あぁこれが外かこういうのを外というのかなんだ今までは大したことない部屋の中に詰め込まれていたんだ。 「……雫? どうしたの? 雫!」 ごめんなさいいまうでがいたいからうごきたくないです。聞こえる声音が近づいてくる、手を握られた。温かい。痛い。 私が外にいる時は、私達は居なかった。外に出たかったんだなと一人勝手に納得して、私達はどこかに飛んでいったんだろうと空を見た。問題はその後、私が部屋の中に戻った時だった。 私達は、また私の中に現れた。 何事もなかったかのように私の中の私達は居座っていた。思考が圧迫されて舌先が痺れて呼吸が乱れて脈打って。そんな事になっても私達は私の中に陣取り続けた。慣れていた圧迫感から解放されて。でも直後にまた圧迫されるという落差が私にダメージを与えた、のだと思う。 ただ、私が再び外に出ると私達はいなくなった。そして、――やはり部屋に戻ると私達は現れた。 「雫……、……ごめん、ね」 何故謝るんですか謝る必要はどこにもないじゃないですかもしかして私の為に私の不甲斐なさを教育者であるあなたが背負おうとしているんですか、――やめてください、そんなこと。腕が痛い。 二度も繰り返せば容易く法則性に気付く。私達は、私が外にいる時には私の存在に介入できない――。 いや、 正しく言うのならばそれは間違いだ。確かにその言葉は一部の事実を示しているが、決定的に足りないものがある。だから性格に異直すならば、 私が外に出ている時、私達は私自身に還元される。 「―っく、あ――……っ、……、」 かなしいことがあったからないているの? 握られた手からすすり泣く震えが伝わってくる。顔を上げられない。 外にいる時は、私達は私として振る舞う。だが、部屋の中という限定的空間では私達は私とは別個の意識体となる。 私達が私達であると認識されていた、クローンプロジェクトの中では。私達は私の姿を借りずとも、存在できる。 だが私達が認識されないその外側では……、私達の代表者である、生きている私しか意識を保持できない。それが、私達が私に還元されるという事。 偏頭痛が鈍化して長期化していって。終いには一時的に身体が動かなくなったこともあった。そしてそういう事を体験して気付いた事実が、 私は私じゃない、という事。 私は、この身体を持つ私ではない。私達の代表者としての私という事でもない。あくまでも、その姿達は物理的に在るための道具でしかない。 私の本質は、――私の定義は、――片倉澪クローンプロジェクト、そのもの。 「、……しず、くぅっ……っく、ひっ……、」 涙に嗚咽が混じっている手の甲に落ちてきた涙に嗚咽が混じっている握られた手の甲に落ちてきた涙に嗚咽が混じっている。腕が、痛い。 そう、私は個人ではなくそれ以前に個体でもない。遺伝操作されたクローンを作るという計画そのものが、私。 だから私が私として在ることが出来るのは、クローンプロジェクトの外側でだけ、それも成功例として。クローンプロジェクトの内側では、――つまり部屋の中では、私は私として在ることすら出来ない。二十九の私の集合体、その内一つの表現系としてでしか存在できない。 だから私は。 「しず、しずくっ! …………、っ、ごめ、ん。ね……っ、……ご、めん」 あぁ、と今更に気付く。無闇に謝られるというのはこんなにも、……こんなにも辛い事なのかと。あなたに負い目がある訳じゃない、なのになんで謝るんですか謝らないでくださいよ。私まで、泣きたくなってくる。腕が痛い。 だから私は、……だから私はっ! …………だから私は、死ねない。 「――」 私は一体何を呟いたのだろうか。中途半端に客観しているのを自覚しながら考える。 それは多分きっと意味のない言葉だろう。 ――腕が、痛い。とか。 飛島行 情勢は混迷を極めている。現状を理解できているのは部長か、……片倉くらいだろう。片倉に関してはこの場にいなかったが。 「さて、これで全員か。久々だな」 緒方がアクリルバッグを背中に担いで病室に入ってきたところで部長がそう告げた。今まで無音だった白い部屋に音が飾られる。 何事かという表情で眉を寄せた緒方は、定石通りに橋本の隣に……笠野のベッドの端に腰掛けた。 「挨拶は抜きにしておくか、面倒だしな。――まずは現時点の状況を確認しよう」 続けて放った二言目に緒方が抜けた声を漏らす。 「すんません、部長。一体何なんですか? 旅行じゃないの?」 沈黙が降りる。笠野が溜息吐いて寝転がって。「多分先に全部聞いた方が早いよ。多分、だけど」そうかと相づち打って緒方が黙る。 無機質な部屋で六人が無言になる。腕に抱きついて離れないともが無音に反応してさらに戒めをきつくした。 「……いいか?」 確認の言葉が問われ、誰が反応するのか部屋全体が一瞬逡巡した結果、 「大丈夫っす」 緒方が返事をした。 そしてそれを総意だと受け取ったのだろう、部長が腕を組んだ。鉄パイプのイスが音を立てて軋る。 「……片倉は――、」 躊躇いを飲み込むような間を開けて繋げられた言葉は、おおよそ信じられないものだった。いや信じたくないもの、か。 片倉はクローンで、というかクローン人間はたくさんいて、しかも片倉はその中でも遺伝子操作をされた特殊なクローンで。片倉と同期に作られたクローンの中にもう一人生き残ったクローンがいてそいつは理由は分からないんだけどともかく異常で生物学的に問題がある構造をしていてでもそれ故に人間に近い形のまま生き残った片倉を恨んでいて。片倉を殺してもクローンとしてまた生まれるから片倉は生かしたままいつの間にか片倉の支えとなった科学部の面々を殺して片倉にダメージを与えようと企んでいて。というかそれはもう既に実行されて、――笠野やともにも……接触してきていて。だから現状はそいつから逃れるために封鎖された軍施設にいるということ。 それだけ無理矢理言い切って。沈黙が生まれる。 理解したくないと考える自分自身が恨めしい。自分は既に結論と接触していたのに、途中まで聞いたところで全て理解できたのに。何故だろう、それでもまだ事態を理解したくない。ともが右腕にその身をくっつける。きっとまだ唇を噛んでいるだろう、そういう時はなにもしてやれない。髪を撫でるくらいしか。 「……ここまでは、いいか?」 よくないに決まっているだろう。部長自身もその事は分かっているはずだ。どうすることもできない事実を突きつけて……、どうするつもりなんだあんたは一体。落ち着かせてやる間も必要だろう。 思っても言葉に出来ないまま、無機的な白色に誰かの溜息が染みた。 「三日間と言っていた」 唐突に再開する。 「片倉は、三日間で片倉滴との決着を付けると言っていた」 片倉自身が決着を付けるというのは信じがたいが、本人達の望みなら、ということで許可が下りたのかもしれないな。 ――何に? 突然話が飛んだ、一体なんなんだ。半ば睨むようにして部長の方を見ると、目が合った。 「いいか飛島、考えてみろ。もし実験体が研究施設から逃走して市民に危害を加えるような意思を見せたら、お前どうする?」 個人の為に飛ばされた言葉を受け取って推断する。それは、 「分かるな?」 部長が思考を切り裂いて先を行く。 「そんな危険な奴を個人に任せるわけがないだろう? 一刻も早く捕獲するか、それができないならば殺すか。いずれにしろ個人に、――しかも不安定な位置にいる当事者に物事を任せるような真似は出来ない」 それは分からなくもない。高度な組織になればなるほど後処理の精度は良くなるがそれはあくまでもバックアップ、それ以前に強固な予防策が必要になる。殺された人間を社会的に消すのは可能だが、面倒だというのは否めないだろう。素人考えだがそれは想像できる。 「逃走した実験体というポジションに置かれた片倉滴。この問題を処理するのに、片倉一人では役者不足ではないか。そう考えられる」 それなのに、と前置いて部長がこちらと視線を外した。 「片倉だけに問題を任せているのは、――裏から監視はしているだろうが、何らかの事情があるからだ」 どうしても片倉滴を捕獲したいだとか或いは条件付きで捕らえなければなら無いとか殺すにしても複雑な手順を踏まなければならないとか一般兵では役に立たないからだとか。思い付くのは簡単だがどれが真実かは分からない。その事情は俺たちには理解できないだろうから省略するが、と割愛して横目でこちらを一瞥する。 「ただ俺は片倉が頼み込んだのではないか、そう思っているだけだ。――勘だけどな」 話を本筋に戻す。言って、部長は誰もが口を開かない白の病室を眺めるように視線を動かした。それにつられて部屋を一巡する。 笠野は仰向けに倒れて視線を虚ろにしていて橋本は頭を垂れていてここからでは表情が伺えなくて緒方は腕を組んで眉間に皺を寄せていて、ともは……、収まらない震えを持て余して今も右腕にしがみついていて。 「様々な決着の付き方が予想される。が、そこはまだ置いておく。俺達が直面している問題は、その後の事だ」 そう、それは、 「俺達は生きて元に帰れるのだろうか?」 おい、とも大丈夫か。痛い程きつく抱きしめられた右腕を見て思う。尋常じゃない。 「ここまで立ち入った事情を知った俺達を生かしておくと思うか? 旅行に行った科学部員達は事故で行方不明になる、そんなシナリオが、もう既に組んであるんじゃないのか?」 そういう疑問が生まれるのはごく自然なことだ。無反応な部屋の中で唯一聞こえてくる音が告げる。成程そうかもしれない。一般人が機密を保持できるわけがないから。情報漏洩を予防するには、穴を塞いでおくしかない。 「特に、――もし片倉が死んだとしたら、俺達は無関係な一般市民。特別生かしておかなければならない人材じゃないからな」 一旦間が空く。無声の接続詞を持ってきて言葉を繋いで。 「片倉が生きていても一概に生き残れるというわけではないが確率は上がるだろう。だから、元の日常に舞い戻るために俺達がしなければならないことは――」 「しなければ、ならないことは――?」 部長の声音も含めて一つの静寂であったが、それが突き破られた。全員がそちらの方を向いて、 「せんせ……?」 「しなければならないことは、何?」 扉から入ってきた白衣姿の女性が笠野の言葉を遮って部長に問うた。 「片倉を助ける為に、片倉滴にフォーマットした自動人形の身体を渡すこと、だ」 淀みなく流れた言葉に女性が身体を揺らす。泣き腫らしたような目で部長に向かって微笑んだ。 白い部屋に無音が響く。 橋本志帆 異物が侵入したとしか表現できない。 「それは、何故?」 不意に現れた白衣の女性が、ものを噛むように言葉を吐き出す。それは神ノ木先輩に宛てられた声音だろうが、病室全体に染み渡った。 人差し指の第二関節を額に付けて部長が答える。 「……俺の作戦を順に解説していこう」 あぁこの人はやっぱりこんな時でも作戦なんて言葉を恥ずかし気もなく使えるんだ。妙なところに感心して。 「片倉の話によると、同期に作られたクローンの内、半数以上が自分の形を維持できなくて死んだそうだな」 ええその通り。薄い微笑み浮かべながら白衣の女性が言葉を返す。まるで幼稚園児が何か事をしようと企んでいるのを、観察しているかのように。 「痒みを訴える過度の自傷行為から始まる、合ってるな?」 ご名答、単語一つで答えを投げる。適当にあしらわれている感は拭えない、無意味な上下関係が構成されつつある。 「いいか、クローンが自壊するのは、……それはアポトーシスだ。違うか?」 アポトーシス? 聞き慣れない単語が耳から抜ける。眉をひそめると、表情に気付いたらしい先輩が補足してくれた。 「プログラム細胞死、計画的細胞死とも言う。まぁややこしいんだが、そうだな、……例えばカエル。幼生はオタマジャクシで尻尾があるだろ? だけど成長するにつれて無くなる。そういう、成長の過程で予め消えることが決められている、細胞が死ぬことだ」 その説明に隣の瞬が頷いた。先輩は瞬に説明してくれたんだ。……でも確かにそういう話は聞いたことがある、ような気がする。 説明終わった一音に女性が嬉しそうに手を叩く。 「その調子、……次は?」 先輩が瞠目する。予想外の反応だったのだろう、だって私も驚いたから。充血した目を擦って白衣が言葉を促す。ほら、それでどうするの? 「元の細胞自体に含まれていた遺伝子が引き起こしたアポトーシスなのか、それとも別の意味での、レミングのような高度な社会的アポトーシスなのかは分からない」 レミング、は覚えているような気がする。確か何年か一度に大量発生して、でも増えすぎないように海に飛び込んで自殺するネズミみたいな動物。話の本筋は掴めていないけど、少しは分かってきた。そういう気がしているだけかもしれないけど。 「うん、――それで?」 「片倉滴も身体の形を維持できていないのならそれに当てはまるだろう。死んでいない理由は分からんが」 「そうね、」 「そこで、だ。片倉滴は片倉と違うそこにコンプレックスを感じているんだろう? 機械の身体なら崩れる事は無いからこちらの誘いには乗ってくるはずだ」 「それから?」 「片倉滴の脳を自動人形に移植する」 「それで?」 「アポトーシスが優先されて自壊すれば決着がつく。仮にそうならなくても片倉滴が機械の身体に満足すれば決着をつける必要自体無くなる」 「そうね……それで?」 催促する声に、しかし部長の言葉が止まる。動かない六人の対称として、壁に歩みながら白衣姿が口を開く。「それはね、」白い壁に背中を預けて。 「それはね、私も考えた」 だって一番簡単な答えだもんね。自嘲するように呟いて壁色と同じく白い天井を仰ぐ。 「一番良いのはアポトーシスが何よりも優先されて自壊してくれる事。……でも、そうなるとは考えにくいよ」 白衣のポケットに両手を突っ込んで何かを探す動作、数秒まさぐって見つけたらしい何かを取り出す。 「何よりもアポトーシスが優先されるのなら、意識を自動人形に移植しなくてももう身体が崩れて死んでるはずじゃない? それに、なんで滴が生きているのか分からない以上、有形の容れ物を与えるのは少し危ない賭だと思うけど?」 むしろ形を得たことに調子乗って雫を殺すかもしれない、その場で。聞こえてくる女性の言葉に頭が回転する。どっちが雫でどっちが滴だろう。 「滴がそれに満足するとは思えないしね。何にせよ、滴に生き残られたら雫が殺される」 白衣から取り出した細い金属棒を指でいじる。ドアのない壁だけ、色が少しずつ薄くなる。 「そもそも第三者が介入することは、雫も滴も良くは思わないんじゃないかな。元がそういう人だったから」 白の向こうに景色が見え始める。 「大体この考えって欠点挙げればキリがないし。自動人形のフォーマットなんてしてくれる会社、あると思う?」 「無い。だが、お前らはそれができるだろう。金は掛かるが克服可能な部分を越えられない壁みたいに言うな」 「――、じゃあ……、……君は、それでどうにか出来ると思ってるの?」 「思考を拒否してるお前らよりは、問題を現実的に見てるつもりだがな」 「へぇ、……私達より、も?」 「基本姿勢に逃げをもってくる奴よりはまともだって言ってるんだ」 「酷い言い様だね……、私達が基本逃げ? 世界中をじっくり眺めてから言いなさいよ、それ」 「世界中をじっくり眺めたって街一つ潰そうとする組織はそうそう無い。問題解決しようとせずに問題消そうとする姿勢は逃げ以外になんでもないだろうが」 先輩の言葉に白衣の女性が声を失う。一息吸って、 「言っておくが、矢端川は潰させない」 白い部屋が一変した。 ガラスの向こうの坂の下に。そこにある矢端川が、――私達の住む場所が、見えた。 笠野夕夏 妙な方向に話が進んでいる。私は一歩身を引いて全体を見ているつもりだったが。 「そもそも、片倉滴が施設から逃げ出した時点で、あいつの中でシナリオは出来上がってたんだろ」 それでも部長と先生が何を話しているのかが分からない。 「……施設の内部機構を外部組織に知られない為に滴を殺す。――そういう風に、私達が雫側につくって事を?」 「そうだ。だから片倉滴は脱走した直後に北方軍勢との繋がりを確保した。間違いはないな?」 北軍? 最近……、というか大分前からだけど、ニュースで騒がれてるあの北軍? 「ええ、でもどこから情報が漏れたのかしら?」 「後で教える。――ともかく、片倉と同レベルのバックアップを得た片倉滴は、それと同時に北方軍勢からある情報を受け取った。それが――、」 「自動人形、」 「その通り。矢端川に自動人形がいるという情報だ。俺個人としては、その情報が知られていたことに驚きだったが。矢端川の軍部はざるか?」 「うるさいわね、今回は対策室の室長が別問題で待機しててこっちの対応が後手に回っただけよ」 「それにしては動きが大きかったな。想定してたより問題がでかくなって動揺したか?」 嫌な奴ね、呟いて先生が頭を掻く。どう考えても部長の言動が私達の寿命を縮めているようにしか聞こえない。機密聞いたら帰れないって言ってたのはどこの誰だろうか。 「確かに。あんたの盗聴に気付いて無理矢理回線変えたり、矢端川に潜入した北の諜報員探るためにドローン飛ばしたり、越権行為だけど特隊使って雫と夕夏を保護したり、まぁ無茶多かったわ」 言葉と共にウインクが飛んでくる。あぁそうなんだ。あの時本当は、――助けられてたんだ、この人に。 ずっと当事者だと思ってたら実は蚊帳の外にいたんだ、私は。なんか無性に溜息をしたくなって、する。 「……それで、自動人形を手に入れたい一心であいつは調べ回ったんだな、だからしばらくは――ほんの僅かな時間だったが、姿を現さなかった」 「北から情報を仕入れなかったのは、施設の機構情報をまだ交渉に使いたくなかったから。多分ね」 「そうだろうな、その時点でまだ状況はどちらにでも転ぶ可能性があった。最終的に片倉滴がこちらにつく、そういう結末もあった」 「よく調べてるわね……うちの部長がここにいたら直ぐにスカウトされるわよ」 「有り難い話だな。――だが、ある時可能性が一気に収束した」 「そう、ね」 「自動人形が誰なのか。それを知ってしかし行動を起こさなかった時点で、片倉滴の敗北は決定したんだ」 言っている事がさっきと全然違う。部長も先生もさっきの言葉は相手を試す上辺のものだったのだろうか。それとも親切なことに私達の為に説明をしてくれているのだろうか。順に説明しないと分からないことだらけだから。 「笠野、話について来てるか?」 「ふぇい?」 突然脈絡もなく名前を呼ばれて動揺する。素っ頓狂な返事をしたことに気付いて耳が熱くなって。うわ恥ずかし。 「一応聞いておくが、お前は自動人形が誰なのか――」 「ちょっと! それって、それって、……言って良いことと悪いことがあるんじゃないの?」 部長を遮って怒声を飛ばす。多分、部長は私に自動人形が誰なのか知っているのか、或いは見当がついているか聞こうとしたんだろう。勿論見当すらついていないが、それを私に問うことは何か問題があるのだろうか。困惑気味な表情を浮かべていると部長がこちらを見た。 「構わんだろ。ここにいる以上いつかは知るんだから」 「でも……っ!」 「お前は、自動人形が誰か知ってるか?」 先に予想できる問いを部長から聞かれること自体が珍しい。思いながら首振って答える。 「いや全く。見当すらついてないよ。というかその……、人って私の知ってる人なの?」 「そうか」 「っていうか何で私? もしかしてみんな知ってるとか?」 言って部屋を見回す。緒方も志帆も突っかかって来ない辺り、誰も知らないのだろう。 「いや違う。そうだな結論から言えば……、自動人形は、お前だ」 ――はい? 「いや、……、……え? はい?」 「だから、お前なんだって。気付いてなかっただろ、俺も最近知ったしな」 「いやいやいやいや。……、何が?」 「いいか?」 「――いや良くないけど」 「大体お前気付け、自分で。普通は落雷避けられるはずがない。五十五階段から落ちて死なないのがまずおかしい。塩束傷にならないってそんなことあるわけないだろ」 なんか爆発したときも軽い火傷で済んだとか言ってたけどな、やや即死レベルのダメージ食らうぞ、普通。 「……、あのー。それ本気?」 いやいやいやそんなことあるわけないだろう私が自動人形だなんてそんなことは。というか私は人間だと思うよだってほら手とか触っても温かいし身体の中もまともなはずだし。狼狽という程でもないが、部長の言動の意味不明さに慌てて。 「勿論。と言うと語弊があるから、正しく言い直しとくか。一から作られた自動人形じゃなくて、幼児の頃身体が死んで使えなくなったから脳だけ移植したんだ。自動人形にしても相当高度な――」 「部長……、私は、人形?」 嘘でしょ? 「落ち着いて聞けよ、笠野。確かにその通りだがお前は人と大差ない。俺だって分からなかったんだからな」 うわどうしようこれ慰められてるのかなでもそれにしては同情にしか聞こえない。 「……ひど」 なんか、無闇に悔しい。何が悔しいのか分からないけど。 「夕夏……、」 え? 返事する前にベッドに押し倒される。洗髪料の香りだろうか、髪が持ち上がった時に心地良い空気に包まれた。 なにがなんだか分からないうちに顔を舐められて。うわぁ、どうしようとか思いながら、 ……あ。 自分が涙を流していたことに気付く。 「く、すぐったい……」 「こら、逃げるな」 両手で首から上を固定されて、……舐められてるのは、涙か。思い至ったらそれはそれで妙にえっちい。涙を舌で拭き取られる事なんて滅多にない機会だけど。うわぁ、どうしよ、この状況。もう訳分かんない。 「ひっ……、く、……っあ、っん……、っく」 大丈夫じゃないけど多分大丈夫だと思う。というか私は何で泣いてるんだこの状況で。無駄に錯綜した思考を一まとめに落ち着けようとしても舐められるくすぐったさがそれを邪魔する。 抵抗したのかしていないのか、なんかもう自分でもよく分かんなくなっていたけど。 とりあえず涙を、っていうか顔を一通り舐められて頬ずりされて、 落ち着いたところであぁそうかと思い及ぶ。 頬ずりされて抱きしめられたので分かった。なんで涙が流れたのか。それは、 まるで私が人形のように扱われてたから、かな。 萩原とも 自動人形。その単語が会話に出てくるだけで怖い。 「終わったか? いいのか? 話を続けても?」 突然いちゃつき始めた二人を生暖かい視線で見つめていた部長が声を掛ける。笠野がびくりと肩を震わせた様子から鑑みるに、どうやら我を忘れていたらしい。――二人の時にやれよ。 「え、あ……何の話だっけ、……?」 顔真っ赤にして狼狽える。それにしても……その返答はないだろう。もう離れ難くなった飛島の腕を引き寄せて思う。 「正直に言うとな、お前が自動人形だとか、そんなのはどうでもいいんだ」 何の躊躇いもなく放たれた自動人形という単語に身体が萎縮する。もうこの場所にいたくない、帰ろうよ飛島。心の中で呟きながら浅く自分の身体を抱く。それに合わせてくれる飛島に安堵して。 「……、だったらなんで言ったんだ、って突っ込んでも?」 「ただ話の流れ上必要だっただけでな、まぁ……閑話休題して話を戻すと」 うわひど、無視された。大仰に騒ぐ笠野がそのままベッドに倒れる。 「片倉滴は、片倉が傍に控えてたからお前に手を出そうとしなかった。バックアップがあるとはいえ、敵地でそれが十分に働くとは考えられないしな。……まぁ妥当な判断だった」 「だけど、それを知った北側はあんまり良く思わなかったみたいね。その辺りから片倉滴と北の行動範囲がずれ始めてるから」 「……、そうなのか。だが取り敢えず、片倉滴は笠野を得る機会を失った」 「ここに来ようとしても脱出よりも侵入の方が厳しいからね。入ってこられないわ、多分」 ベッドの隣の壁にもたれた白衣が笠野の頭を撫でながら言った。 「そうだな、……いや」 腕組んだまま部長が右手首を見て一人呟く。否定の単語が一つ入ったことに気付いて白衣がどうかしたのと問うた。 「そろそろまとめたい。時間が惜しいからな」 「時間? なにやるつもり?」 「言っただろ、片倉滴にフォーマットした自動人形を渡す。それの準備と、……用事だな」 「……、夕夏を渡すつもり?」 「そんなバカを渡しても何の解決にもならん。そもそも部員を容易く他に手渡すつもりはないしな」 「うわぁ、それって遠回りに受け取ると夕夏への告白?」 「どんな勢いで曲解したらそうなるんだ。これ以上正規の部員が減ると科学部の存続が難しくなるから、だ」 周囲置いて会話する二人にピント合わせずに、ただその空間を見る。唯一温かさを感じる腕を左側に抱きしめながら。 「いいか? いいな? 勝手にまとめるぞ分からないやつは缶ジュースな、俺に」 飛島みたいに額に指置いて溜息吐いて、一気に言葉吐いて。 「片倉には敵対者がいる。敵対者のせいで、片倉を含む俺達は命を狙われている。最初に説明したな?」 形容詞を除いて出来上がった簡素な事実に恐怖を覚えて。しかも何故自分が恐怖しているのか分からないという状況も怖い。足元から這い上がってくる寒気に小さく叫び声を上げて飛島に思い切り抱きつく。腕だけじゃなくて全身で。 「敵対者である片倉滴は北方軍勢と連携して自動人形を得ようとしている。片倉滴は自動人形を、北方軍勢は矢端川を。それぞれ利害が一致しているからな」 一息溜めて言葉が続く。 「片倉滴はこの施設を脱出した。そしてここは内部機構が特殊で潜入が難しい。つまり、片倉滴の持つ情報を北方軍勢が手にした場合、――この施設は、……矢端川の基地は落ちる危険性が大きくなる」 そして、 「片倉と片倉滴の一騎打ち。双方の後方支援は――、」 部長が白衣に目配せをしてその先を促す。 「ええ、……まだ睨み合い。滴の脱走も突然の事だったし、あぶり出すのにも苦労したから――、向こうも余裕がないだろうし、時間的にも相手側の動員できる諜報員は……もう掌の上、ってとこかしら」 「だ、そうだ。だが……、最悪のシナリオとして想定されているのが」 鉄パイプを思い切り軋らせてその反動で立ち上がる。動きを想定した無かった故に私はそれに肩を揺らして反応して。どうかしたのかと言わんばかりにこちらを見て、次に飛島を見て。一瞬表情を止めた後、そのまま私達には触れずに壁一面のガラスに向かって歩いていく。 「なんらかの事情によって片倉滴が北方軍勢に施設機構の情報を提供した場合だ。その場合、ここは落ちて片倉も死ぬ。ついでに言っておくと俺達も死ぬし矢端川も全滅する。そして被害はそれだけじゃ済まないだろうな」 ……まぁそんな事は無いだろうが、気に食わんことがある。 「そのシナリオに突入した場合、軍部は、北方軍勢が侵入する前に矢端川自体を消す」 部長はなんて言ったのだろうか、聞いていなかったが飛島の身体が少し揺れた。 「ほんとにほんとにほんとにほんとーに最悪の場合は、ね。でも、……言っちゃ悪いけどありえないわよ、そんなの」 「どの口がそれを言うんだ? 大体片倉滴が北方軍勢と接触したことが最悪のパターンだろ。既に最悪が一つ現実になってる分、状況が立て続けに来るってのは予想としてありえなくはない」 だから、 「その可能性だけは確実に潰さなければならないし、状況だけシミュレートして問題を解決した気になってるこいつらにそれを任せることは出来ない」 声音で分かる。向こうを見ていた部長が踵を返したこと。 「はぁ、でももうちょっと実働部隊も評価してあげてもいいんじゃない?」 「誰が評価なんてするか。そもそもお前らは矢端川を守ろうとしてないしな。……矢端川が生き残ったら儲け。死んでも矢端川は土地改造前だから、改造の体の良い口実になる。そんなところだろう?」 作り笑いを含んだ部長の言葉に白衣が溜息を吐く。 「いや、まぁそれ一応正解だから否定は出来ないけど……、でも私は結構頑張ってるよ?」 「知らん」 一蹴。私には雑音にしか聞こえていなかったが、そのノイズ楽曲も一段落しようとしているらしい。サビの部分のテンションを二回程繰り返して音量が小さくなっていくのを感じる。 「いいか? 言ってしまえば世界の危機だ。一介の学生身分が世界を救うなんて大それたことが出来るのは滅多にないぞ」 一息、 「だから喜べ、世界に干渉できることを」 切なくなって、胸が絞められるような感覚に襲われて。ノイズでさえも終わるというのが怖い。飛島っ、呟きながらもう一度強く腕を引き寄せる。 「今だけは物語の主人公になったつもりで駆け抜けろ、いいか!」 温かいのに、すり抜けてしまいそうなのが怖い。 「自分を守れ友人を守れ片倉を守れ、そしてついでに矢端川も守れ!」 しっかりと抱きしめているのに、直ぐに冷えてしまいそうなのが怖い。 「調子に乗って全力出すぞ! いいか科学部、気合い入れていけ!」 ノイズが途切れて沈黙が始まる。次の曲はいつ始まるのだろうか。いやそもそも次の曲なんてあるのだろうか。 冷えていく音を感じながら、誰でもいいからと願う。 誰でもいいから、何か喋って。 と、 「……何その演説? ……、……そこのキミも勢い余って手を振り上げない。……なんかこっちが恥ずかしくなるじゃない」 ボーナストラックが存在したらしい。 一抹のノイズが溜息のように呟かれた。 糸が切れたように部屋の空気が緩む。 |